JUNO/ジュノ
2008/12/24
Juno
2007年,アメリカ,96分
- 監督
- ジェイソン・ライトマン
- 脚本
- ディアヴロ・コディ
- 撮影
- エリック・スティールバーグ
- 音楽
- マテオ・メッシーナ
- 出演
- エレン・ペイジ
- ジェニファー・ガーナー
- マイケル・セラ
- ジェイソン・ベイトマン
- オリヴィア・サールビー
- J・K・シモンズ
- アリソン・ジャネイ
ごく普通の高校生のジュノは同級生のブリーカーとのセックスで妊娠してしまう。最初は中絶しようと考えるのだが、クリニックで心変わりし養子に出すことに。父親と継母もジュノの意見を尊重し、養父母候補のカップルに会いに行く。
十代の妊娠という深刻なテーマながらさわやかで希望にあふれるドラマ。これがデビュー作となる脚本家のディアブロ・コディがアカデミー賞を受賞。
面白いのはなんといっても主人公のジュノだ。周囲から変わっているといわれる彼女の考え方や行動はとても16歳とは思えない。中絶しないと決める決断の早さ、人間関係に関する判断力、自分自身を分析する力、どれをとっても大人顔負けというか、並の大人よりはるかに優れている。
そして彼女の会話や行動の面白さに気が効いている。父親も彼女のことを「冗談ばかり言う」というがユーモアに包んだ辛らつな言葉が彼女の最大の魅力だ。養父母候補のヴァネッサとマークの家を訪ねた際に「トイレに行きたい」といって「妊娠するとおしっこが馬なみに出る」(オリジナルでは「シービスケットみたいに」となっている)という。その下品な言葉にみな驚くが、そのあけすけなところが彼女の魅力であり、その率直さはヴァネッサやマークの心を捉える。
十代の妊娠と養子に出すという物語設定からは、ジュノがいろいろなことに悩むという展開が予想される。超音波で姿を見たり、ヴァネッサとマークの家庭の事情を知ったり、そういった事情によって養子に出すことにためらいを覚えたり、あるいはまったく別の世界に飛び込もうと考えてみたり、そういう展開がありうるわけだ。
しかしジュノは高校生の自分は子供を育てられないという事実をしっかりと認識しており、しかも養母になるヴァネッサが本当に母親になりたがっているということを知っている。だから自分の不確かな心の揺らぎに惑わされることなくしっかりとあらかじめ決めた道をすすんでいく。
それはドラマとしては物足りないものと感じられるかもしれない。しかし劇的な紆余曲折があるものばかりがドラマではない。この映画に描かれるドラマは一人の人間が経験する波乱万丈ではなく、彼女を取り巻く人間関係そのものなのである。そこにはさまざまな人がいて、それぞれにさまざまな思いを抱えている。ジュノの妊娠という事態によってそれぞれの人生に少しずつ変化が生じ、それがひとつのうねりとなってジュノを動かす。ジュノはそれを受け止め、自分がとるべき行動を決断する。
それは平凡だけれど実に難しく重要なことである。映画の最初の決断(つまり堕胎をしないという決断)では直感的な要素が強かったのだが、映画の最後の決断では彼女はさまざまなことを考慮に入れ、自分なりの考えに基づいて決断している。同じような決断に見えるが、そのあり方の変化が彼女の成長を示しているのだ。
そして決断を迫られるのはジュノばかりではない。決断を迫られる誰も彼もが度合いの差こそあれ成長している。基本的には男のほうが成長しないのだが(まあそういうものだ)、それにしてもほんの少しは成長している。
子供を産み育てるということは親のほうが成長することだなどというのは言い古された言葉だけれど、この映画が描いているのはまさにそういうこと。子供を通じて成長する人々の物語なのだ。
だからこの作品では実際には子供は現実の存在としては物語に組み込まれていないともいえる。ジュノのおなかの中ににいる子供には人格が与えられず、その子ども自身のことは考慮に入れなくていいことになっているのだ。そして、それが深刻さを避け、複雑になりすぎるのを避けることにつながっている。子供はまだ存在ではなく事態であり、だからこそ子供との絆とかいったことが問題を複雑にせずにすむというわけだ。
もちろんそれでは単純すぎるという言い方もできるし、現実的にはその部分を描かなければこのようなテーマを描ききることはできない。しかし、この作品のテーマは妊娠そのものではなく、そこから生じる各個人の葛藤なのだ。何かを(特に自分自身にまつわることを)考える際には単純化するということも時には必要であり、この作品が子供を埒外に置くのはまさにその単純化のための方策なのである。
この作品はその単純化が非常にうまく行われていて、考えられるべき問題が明確になっていると思う。
個人的にはブリーカーの母親というのが非常にいい味を出していたと思う。出番は少ないのだが、ジュノがあまり好きではなく、その理由を聞かれて「他の子と違うから」とだけいったり、そのジュノが訪ねてきて息子に知らせにいくのに太っているためにジュノに抜かれてしまったり。いわば、ジュノとは対照的に常識とかオーソドックスというものを無批判に受け入れている人物として描かれているわけだが、それでも批判的に描かれたり、馬鹿にされたりしているわけではない。その描き方がこの作品の底力だと感じるのだ。