ここに幸あり
2008/12/31
ardins en Automne
2006年,フランス=イタリア=ロシア,121分
- 監督
- オタール・イオセリアーニ
- 脚本
- オタール・イオセリアーニ
- 撮影
- ウィリアム・ルプシャンスキー
- 音楽
- ニコラ・ズラビシュヴィリ
- 出演
- セヴラン・ブランシェ
- ミシェル・ピコリ
- オタール・イオセリアーニ
- ジャン・ドゥーシェ
- リリ・ラヴィーナ
- ドゥニ・ランベール
大臣のヴァンサンは突然、職を追われてしまう。家を追い出され、愛人にも逃げられた彼は昔のアパートに行くが、そこは移民に不法占拠されており、隠し部屋で過ごすことにする。しかしその町で旧友たちと再会し、楽しい日々を送る。
オタール・イオセリアーニによる一風変わったコメディ・ドラマ。母親役がミシェル・ピコリというところが面白い。
大臣のヴァンサンは特にこれといった仕事もしていないが、何かの発言からデモに発展し、それによって辞任に追い込まれる。それは後任に納まった男に陰謀でもあるようなのだがヴァンサンは特に気にした様子もなく絵を数枚と孫の手だけを持って淡々と大臣室をあとにし、公邸からも引っ越すことになる。公邸で一緒に暮らしていた愛人は別の男のもとに行く。
そんな展開なのだが、まったく劇的ではなくとにかく淡々とことは進む。大臣のヴァンサンが昼間からワインを飲み、大臣室のトレーニング機器で運動をしていようと、後任の大臣が豹をペットに連れていようと、そんなことはなんでもないことであるかのようにカメラも周りの人たちも動く。そのあまりに淡々としているところが面白い。
大臣を追われたヴァンサンが公園に訪ねる母親(何の連絡もせず訪ねる場所が公園だというのもすごいが)がミシェル・ピコリで、しかも違和感があるにもかかわらずなんとなく納得してしまうのもすごい。
その母親から鍵をもらった昔のアパートには移民が不法滞在しているのだが、ヴァンサンはそのことを気にする様子もなく隠し部屋に行き、そこで過ごす。そして外に出れば昔の友だちや愛人たちと出会い、当たり前のように一緒に過ごす。そこには再会の驚きも喜びもなく、ヴァンサンが大臣をやっていたことや大臣を辞めさせられたことなんて実際は起きなかったことであるかのように時間が過ぎていくのだ。
いったいこれは何なのだろう。これだけどのような物語かを説明するのが難しい映画も珍しい。政治の世界にいた男がそこを離れて昔を取り戻してゆく物語とでもいうべきなのかもしれないが、取り戻すというには彼はあまりにすんなりそこに戻ってしまう。だから彼が癒される物語というわけでもない。
彼は大臣を追われてすぐ友だちに「しばらく何もしてなかった」という。つまり彼にとって大臣でいた期間とは「何もしていなかった」時間なのである。彼は大臣という不毛な時間を過ごして、元の場所に戻ってきただけ。そのことこそがこの映画が放つメッセージなのかもしれない。
彼の後釜に座った大臣はマザコンで秘書の服装や政策についてまで母親に意見を求める。それもまた皮肉の対象であったりはせず、特に変わったこととはとらえられていない。
それを見るにつけ政治に対する不信というよりはあきらめや冷笑を感じ得ない。それがテーマというわけではないのだが、当たり前の生活の手ごたえと政治の世界の虚しさが対比されていることは間違いないだろう。
なんかいい。