ある愛の風景
2009/1/7
Brodre
2004年,デンマーク,117分
- 監督
- スザンネ・ビア
- 原案
- スザンネ・ビア
- アナス・トーマス・イェンセン
- 脚本
- アナス・トーマス・イェンセン
- 撮影
- モーテン・ソーボー
- 音楽
- ヨハン・セーデルクヴィスト
- 出演
- コニー・ニールセン
- ウルリク・トムセン
- ニコライ・リー・コス
- ベント・マイディング
- ソビョーリ・ホーフェルツ
治安維持のためアフガニスタンへ赴任する日、将校のミカエルは刑務所に入っていた弟のヤニックを迎えに行き、家族で食事を取るが、ヤニックによって気まずい雰囲気になる。愛する家族を残してアフガニスタンへ赴いたミカエルの乗ったヘリコプターはまもなく撃墜され、家族のもとに訃報が届く…
スザンネ・ビアがひとりの人間が失われることで生まれるさまざまな葛藤を描いたヒューマンドラマ。
善き夫、善き父、善き息子であったミカエルが死んでしまう。残されたのはその家族と出来の悪い弟。父親はその弟に当たり、母親はただただ悲しみ、家族は途方にくれる。そこで出来の悪かった弟が少しずつ変わっていく。
この部分だけとるとありがちな話にも見える。しかしこの作品の眼目はその死んだはずのミカエルが生きており、壮絶な体験をしたということにある。
ミカエルは帰ってくる。しかしその数か月の間の経験の差が彼と家族の間に絶望的な精神的隔たりを生んでしまう。
人は一緒にすごし、話したり、触れ合ったり、見詰め合ったりすることで初めて互いを理解することが出来る。それをよく示すのが「いけ好かないと思っていたけど思い過ごしだった」というサラに対するヤニックの言葉だ。これは彼が人との距離を縮めたことを意味する。そしてそれにつながったのは、銀行強盗を犯した彼が被害者に謝罪に行った時に、その女性が抱きついてきたというアクシデントがきっかけだろう。人との触れ合いが彼にその触れ合いの重要性を教えたのだ。
しかし、一時は理解しあっていたとしても離れ離れになり、別の体験をしてしまったら再び精神的な隔たりが生まれ、その関係は様変わりし、互いに相手が別人のように見えてしまうことがある。変わってしまった人間の目からは周囲が様変わりしたように見え、同時にそれが自分が変わってしまったからだという事実も抱えねばならない。周囲からはその相手が変わってしまったことは理解でき、その原因が体験にあることはわかるのだが、変わってしまったことを受け入れることができない。
それは、自分自身が自分をどうアイデンティファイするかという問題、そして他者が自分をどうアイデンティファイするかという問題である。過去の残像とのズレが軋轢を生み、時間がそれを拡大再生産してゆく。ミカエルが抱える苦悩、サラの目に映るすっかり変わってしまったミカエル、そのミカエルと期待するミカエルとのズレが彼らの関係を崩壊させていくのだ。
それでも愛の残像は何とかそれを修復させようと試みる。そして一見ハッピーエンドのように見える結末を迎える。
しかし本当にそうなのだろうか。確かに一時の危機的状況は脱しただろう。しかし、昔に戻れるわけではない。いわば一体だったミカエルと家族(サラと子供たち)の間の紐帯は断ち切られ、サラが差し伸べる手だけがミカエルを家族のそばに留めている。ヤニックと家族(サラと子供たち)の間にはつながりが出来た。しかしそれはぎこちなく手をつなぐカップルのようで、ある程度の距離が保たれている。そしてミカエルとヤニックとは互いに相手の気持ちを理解することで精神的に近づいた。
しかしこの三者はどの二者をとっても一体となることはもはやないのではないか。決定的な経験の違いが彼らの間に距離を作ってしまう。寄り添うことは出来るがつながることはできない。
言ってしまうと陳腐になるが、戦争というものは決して修復できない瑕を、直接関わった人間のみならずその周囲にまで残してしまうのだ。それはミカエルだけでなく、アフガンの人々にも言える。