1970、忘れない夏
2009/1/9
O Ano em Que Menus Pais Sairam de Ferias
2006年,ブラジル,102分
- 監督
- カオ・ハンバーガー
- 脚本
- クラウディオ・ガルペリン
- カオ・ハンバーガー
- ブラウリオ・マントヴァーニ
- アナ・ミュイラート
- 撮影
- アンドリアーノ・ゴールドマン
- 音楽
- ベト・ヴィラレス
- 出演
- ミシェル・ジョエルサス
- ジェルマーノ・アイウト
- ダニエラ・ピープズィク
- ホドリゴ・ドス・サントス
軍事政権下のブラジル、社会主義運動に参加していたらしい両親が逃げるようにどこかへ行き、マウロ少年は祖父に預けられることになるが、その祖父はマウロを預かるはずのその日に突然亡くなっていた。途方にくれるマウロを隣人の老人シュロモがとりあえず預かることになるが…
ワールドカップと社会主義革命というふたつの熱狂が吹き荒れた1970年のブラジルを少年の目から描いた社会派ドラマ。
一人置き去りにされた少年と、それを預かることになってしまった老人。少年は両親との生活との違いから反発し、老人は平穏な生活への闖入者にいらだつ。まあしかしどんなに反発してもおなかはすくし、子供一人ではどうにもならない。マウロも近所の少女の助けもあって少しずつその場所に溶け込んでゆく。でもやはり心の中では両親のことばかりを考え、「W杯までに帰ってくる」という父親の言葉を信じて、その日を心待ちにする。
そんな少年を描いた非常に素直な物語である。ひとりのサッカー好きの少年が経験するひと夏の冒険、両親の元でぬくぬくと暮らす子供だったマウロが外の世界と触れてひとりの独立した人間に育ってゆく過程、それを描いた物語だ。その心の変化が具体的に描かれることはないし、何が直接そのような変化を生んだのかを示す描写もない。しかし彼の年齢と環境の変化という2つの要素が必然的に反応しそのような結果を生んだということなのだろう。
軍事政権に対する社会主義運動とワールドカップはこの少年の物語の背景でしかないように見える。少年が大人への第一歩を踏み出すための舞台装置であると。しかし、実はこのマウロが大人への第一歩を踏み出したという事実とブラジルに変化が訪れるという事実の間にはある種のリンクが存在している。
W杯というのはとにかくサッカーに熱中し、サッカーのことしか考えないというブラジルの子供っぽさの象徴である。それに対して社会主義革命というのは政治という大人の世界の象徴である。イタロたち革命家がW杯の初戦で最初は社会主義国のチェコを応援していながら、結局はブラジルの勝利に歓喜してしまうというエピソードは政治的に目覚めつつも子供っぽさも持ち続けているということを象徴的に示す。
そして決勝戦、試合がまだ続いているにもかかわらずマウロはテレビの前を離れる。それは彼がサッカーよりも大事なものがあるということを明確に意識した瞬間である。
1970年のブラジルのことなんてはっきり言ってほとんど知らなかった。サッカーファンならW杯でブラジルが優勝したことは知っているかもしれない。しかしその時のブラジルの政情を知っている人なんて日本にはほとんどいないだろう。そんなブラジルの一時代を少年のひと夏と重ね合わせて見せる。これはかなり興味深い。
そういった要素を考えず一人の少年の物語とだけ見るならば、まあよくある話という感じだが、その時代と地域性がこの映画に価値を与えていると思う。さまざまな移民が共存するサン・パウロ、彼らはその出自によって分裂しながらも、サッカーや政治によってつながってもいる。そんな独特な社会のあり方が垣間見れるのが面白い。