ロード・オブ・ウォー
2009/2/1
Load of War
2005年,アメリカ,122分
- 監督
- アンドリュー・ニコル
- 脚本
- アンドリュー・ニコル
- 撮影
- アミール・M・モクリ
- 音楽
- アントニオ・ピント
- 出演
- ニコラス・ケイジ
- イーサン・ホーク
- ブジジット・モイナハン
- ジャレッド・レトー
- イアン・ホルム
- ドナルド・サザーランド
ウクライナ生まれのユーリーは子供のころアメリカに渡り、家族とともにレストランをやっていた。しかしギャングの銃撃戦を眼にした彼は武器を売る仕事を思いつく。弟とともにはじめた武器の密売に彼は才能を発揮し、立派な武器商人となっていくのだが…
実在した史上最強の武器商人をモチーフにニコラス・ケイジが製作・主演したサスペンス・ドラマ。
一人の男が冷酷な武器商人となる。その男ユーリーは最初はアメリカ国内でウクライナ出身という特性を生かして武器の密売をしているだけだったが、徐々に規模を広げ、あらゆるところから仕入れた武器を紛争地帯に売るようになる。その中心はアフリカでクーデターで権力を手に入れたリベリアの大統領とも仲良くなる。
相棒は弟のヴィタリーだったが、ある取引で現金の代わりに代価として支払われたコカインにはまってしまい、ユーリーは仕方なく彼を厚生施設に入れる。
この作品のすごいところはとにかくユーリーが淡々と武器を売るということだ。その武器が何に使われ、誰が何人殺されるのかなどということは彼は気にもしない。弟のほうは良心の呵責に耐え切れなくなり、麻薬に溺れる。そのユーリーの冷酷さが憎憎しく、すこしでも踏み外せばひどい作品になってしまうところを、その冷酷さが徹底しているがゆえに逆に魅力的な作品になっているといえる。
どうしてそんなことを続けるのだという質問に対してユーリーは「才能があるからだ」と答える。しかし、才能があれば何をやってもいいのか。スリの才能があるからスリをやる、殺人の才能があるから殺し屋になる。彼が言っているのはそういうことだ。
彼の発言はもちろん是認できないし、彼の生き方は根本的に誤っていると思うが、彼のような人物がいう「自分がやらなくても誰か他の奴がやるだけだ」という言葉にはいくばくかの真実が紛れ込んでいると思う。彼のような人間が生まれないようにするのももちろん重要なのだが、もっと問題なのは彼のような人物が生み出される社会構造にある。
彼は自分自身の感覚や心情と社会とを切り離して考えることができる。社会の中の駒としての自分、それは武器を必要としている人に武器を売る商人である。それと人々が死んでいくことを悲惨なことと感じる自分(彼でもそう感じているようだ)、それを切り離すことができてしまうのは、“人々”を人間としてではなく数や単位で考えるマクロ的な視点を社会が人々に提供し続けているからだ。戦争の犠牲者や紛争をしている民族は数や名前に過ぎず、そこに人間を感じることはできない。だから私たちはそれを無視できてしまう。それが現代社会がわれわれにもたらす感覚なのだ。
そのようなことを考える上でもユーリーの商売敵として登場するワイズの存在は面白い(そしてそれを演じたイアン・ホルムはやはりいい役者だ)。彼は自分の主義を信じ、その主義に見あった勢力にしか武器を売らない。しかしユーリーは紛争の双方に武器を売っても何の矛盾も感じない。それは時代の違いなのだ。そして現在の紛争には主義というものはほとんど存在しなくなってしまった。
そんなことを思うと、なかなか考えさせられる作品だ。