セプテンバー
2009/2/4
September
1987年,アメリカ,83分
- 監督
- ウディ・アレン
- 脚本
- ウディ・アレン
- 撮影
- カルロ・ディ・パルマ
- 出演
- ミア・ファロー
- デンホルム・エリオット
- ダイアン・ウィースト
- エレイン・ストリッチ
- サム・ウォーターストン
田舎のサマーハウスで暮らすレインのところに、レインの母親のダイアンとその夫のロイド、レインの親友ステファニーが滞在している。離れにはピーターという作家が間借りし、近所に住むハワードもしばしば訪れる。レインはピーターを愛しているが、ピーターの心はステファニーにあり…
ウディ・アレンが人々の心のうちを描いたホーム・ドラマ。
ウディ・アレン自身は出演していないがいかにもウディ・アレンという“インテリ”なホームドラマだ。主人公のレインはうじうじと悩む女性、近所に住むハワードは大学教授、滞在しているピーターは作家、ダイアンの夫は物理学者、ステファニーの夫は放射線学者らしい。中年にさしかかろうというそんな“インテリ”たちが愚にもつかぬ事で言い争ったり悩んだりするという物語だ。
そんな中、レインの母親のダイアンだけが異彩を放つ。彼女はインテリとは別世界の人間のようだが、この家に集まる人々の中心にでんと座り、すべてをコントロールしているのだ。
そのダイアン(レインの母親)の人物造形が見事だと思う。最初は単に面倒な母親という感じだったのだが、徐々にその過去が明らかになり、レインの話をちっとも聞かず、自分勝手なことばかり言うというキャラクターが確立されていく。しかし、ただいやは母親というだけでなく、実は娘を愛し、娘のためを思っている。ただ的外れだというだけで。
このダイアンという人物にウディ・アレンの職人芸を見る。家の中に舞台を限り、特に目立ったプロットがあるわけでもないこの話をダイアンという主人公ではない一人の人物によって引っ張っていく。そこがこの作品の眼目といえるだろう。
ダイアンの人生経験と、それにもかかわらずかあるいはそれだからこその自分勝手さを見ると、彼女の周りの中年にさしかかろうとするレインやステファニーやピーターなど子供のように見えてしまう。インテリの中年たちがうじうじと悩むというウディ・アレンらしい悲喜劇を達観とも言うべき視点から見たという点ではなかなか面白い作品だ。
まあしかし、退屈といえば退屈だ。友だちのサマーハウスで出会った駆け出しの作家と浮気しようとどうしようと見ている側にとってははっきり言ってどうでもいい。そんなどうでもいいことばかり描いて、衝撃的な事件はさらりと何気なく描く。そのあたりのずらしも(好みは分かれるけれど)ウディ・アレンらしいところだ。
見ていて面白くはあるのだが、よく考えて見るといったい何なのかというとらえどころのない映画という気がする。だが、1本の映画で1人魅力的な人物が登場すれば、それで十分という気もする。ダイアンという人物を見つめてみれば、この作品には十分見る価値があるということかもしれない。