百万円と苦虫女
2009/2/8
2008年,日本,121分
- 監督
- タナダユキ
- 脚本
- タナダユキ
- 撮影
- 安田圭
- 音楽
- 桜井映子
- 平野航
- 出演
- 蒼井優
- 森山未來
- ピエール瀧
- 斎藤隆成
- 笹野高史
- 堀部圭亮
- 平岩紙
バイト仲間とルームシェアして実家から出ることにした鈴子だったが、すったもんだで拘置所に入ることになってしまい実家にいずらくなってしまう。鈴子は「百万円貯まったら出て行く」と宣言し、百万円たまるごとに違う町に引っ越して暮そうと計画するのだが…
タナダユキが蒼井優を主演に迎えて撮ったヒューマン・コメディ。
何のとりえもない21歳の女性が、ともだちとのルームシェアからトラブルに巻き込まれてしまって前科がつく。前科といっても罰金刑で軽微なものだけれど、まあ前科は前科だ。
拘置所から出た日、家族は優しく迎えてくれるが、学校でいじめを受ける弟は姉に当たり、両親は父親の浮気で口論になる。いたたまれなくなった鈴子は「百万円貯まったら家を出る」と宣言し、アルバイトにいそしむようになる。そして百万円がたまると海辺の街に暮し、海の家であるバイトするようになる。
行った先でも人との交わりを出来るだけ避け、孤独に過ごそうとする鈴子の姿には現代人の根無し草性(rootlessness)を感じる。現代という時代は、人々の生き方が近代以前の土地に根を張ったものから、根っこのないふわふわとしたものに変わったといわれる。そしてそれは特に東京などに暮らす生まれ故郷を持たない若者に顕著で、そういう若者は「ルーツ探し」をしようとするか、根を張るのをとことん嫌がって放浪する傾向にある。
この物語は後者の典型で、その土地で一定の期間過ごせば人間関係も出来、少しずつ根が張ってゆくが、それが根付く前に鈴子はその場所をあとにする。しかし、中島(森山未來)との出会いが彼女の変化を予感させる。彼の部屋には植木がありそこにはまさに根がある。ただ彼の植木は地面に根を下ろしているのではなく、あくまでもプランターに植わっているところが絶妙だと思った。
しかし、残念なことにこの作品はその先、話がそれていくような印象だ。最終的に鈴子の他人との関わり方というものに話題が収斂されていってしまい、わけがわからなくなる。すべてがきれいに割り切れてしまってわかりやすくなってしまう。人が根を下ろしえない背景にはもっともやもやした言いようのない不安があるのではなかろうか。
それをごまかすためか弟という離れていてもつながっている肉親との関係を織り込んでそれが最後に決定的なものになるというからくりを用意する。人と関わりあうことを恐れる鈴子と学校でいじめられる弟の拓也、この二人を絡ませるというやり方自体はいいのだが、最後に効いてくるのは人を避ける鈴子ではなく、しっかりと人と対峙したときの鈴子なのだ。
とするなら、結局自分から逃げ続ける鈴子が臆病でだめな人間だったというだけのことになってしまいはしないだろうか? 彼女が放浪する理由にはもっと複雑なものがあるのではないか。それは根を下ろしながらも疎外感を感じているピエール瀧演じる青年(もはや中年か?)との相違によって浮き彫りになるようなものではないのか?
「誰も自分のことを知らない土地に行きたい」という誰もが一度は抱く思いというのが間違いあるいは一過性のものと片付けられてしまうことにはどうにも違和感を感じる。
そんなこんなでどうにも脚本に納得がいかない。蒼井優はよかったんだが…