シティ・オブ・ゴッド
2009/2/16
Ciudade de Deus
2002年,ブラジル,130分
- 監督
- フェルナンド・メイレレス
- 原作
- パウロ・リンス
- 脚本
- ブラウリオ・マントヴァーニ
- 撮影
- セザール・シャローン
- 音楽
- アントニオ・ピント
- エド・コルテス
- 出演
- アレクサンドル・ロドリゲス
- レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ
- セウ・ジョルジ
- アリシー・ブラガ
- ドグラス・シルヴァ
リオ・デジャネイロのスラム“神の街”で生まれ育ったブスカペは“”神の街”一のチンピラ3人組のひとりの弟だったが悪事に巻き込まれないように育ち、カメラマンを目指すようになる。“神の街”では3人組の取り巻きだったリトル・ダイスが頭角を現し、リオ全域に名をとどろかせていた…
事実をもとにリオ・デジャネイロのスラムの実情を描いた社会派エンターテインメント。社会派映画とギャング映画の中間の絶妙の立ち位置に立つ傑作。
スラムのギャングを描くとなると、ギャングたちの抗争を描いたいわゆる“ギャング映画”になるか、スラムの悲惨さを描いた社会派映画になるかのどちらかだというのが一般的だ。しかし、この映画は社会派映画でありながらギャング映画の面白さも十分に持つ非常に優れた作品になっている。
まず、この作品はブスカペというスラム生まれでギャングに非常に近いところにいるけれど、ギャングには与さない人物をストーリーテラーに起用している。これが最も重要なポイントだ。そして同時に彼に視点を固定するのではなく、彼を中心としてスラムとギャングに関わるさまざまな人物を各エピソードの中心にすえる。そしてそのエピソードを組み合わせて一つの物語を作り上げていくのだ。各エピソードは重なり合いながら時間や空間のを自由に移動し、それぞれがパズルのピースであるかのように組み合わさっていくことで最後に一つの物語を完成させるのだ。
この展開の組み立ての妙こそがこの作品がエンターテインメントとして秀逸なものとなった最大のポイントだ。特にギャングの抗争の中心となるリトル・ゼや“二枚目のマネ”、ベネといったキャラクターを掘り下げて描くことでそれぞれに深みが出て、その生き方と街とがいかに係わり合い、それがどのような結果をもたらすかということをうまく描くことができている。
そして、ギャングが大きな勢力を持ったとき街が見かけ上の平和を保つこと、その平和は暴力と恐怖と悪徳によってもたらされることであること、均衡が破れればその根深い悪は街のすべてを破壊しつくしてしまうこと、そのような現実を描くことでギャング抗争という“魅力”の社会悪としての側面をもらさず描きもしている。
メッセージを伝わりやすくするためにエピソードが出来すぎと感じてしまうようなところもままあったが、そんな出来すぎと感じさせられるような“偶然”や“奇跡”が本当に会ったのではないかと思わせてしまうのがこの“神の街”のすごさだ。作品の中で「奇跡が似合う」といわれているこの“神の街”では本当に何でも起こりうるような気がする。しかしそれはこの“神の街”が天国だからではなく、地獄だからだ。
ここで起きる奇跡は実は当たり前のことだ。当たり前ではないことが日常のこの街では、普通の街で当たり前のこと、たとえば今日を生き延びるということが“奇跡”になってしまう。作品の世界に浸ることで、私たち観客はその日常を受け入れてしまい、その“奇跡”を奇跡と信じてしまう。しかしはたと現実に戻ってみると、それは奇跡でもなんでもない。そのことに気づいてこの“神の街”の実情に改めて衝撃を受ける。
構えることもなく、ただ見ているだけでぐんぐん引き込まれていき、そこから現実に変えると衝撃的な事実が見える。エンターテインメントとしても完璧でありながら、社会的なメッセージも確実にわれわれの元に届ける。これはブラジル社会の厳しい現実が生んだ本当に悲しい傑作だ。これが昔話として語られうる未来が来ることをただただ願うばかりだ。