ダラスの熱い日
2009/5/7
Executive Action
1973年,アメリカ,91分
- 監督
- デヴィッド・ミラー
- 原作
- ドナルド・フリード
- マーク・レーン
- 脚本
- ダルトン・トランボ
- 撮影
- ロバート・ステッドマン
- 音楽
- ランディ・エデルマン
- 出演
- バート・ランカスター
- ロバート・ライアン
- ギルバート・グリーン
- ウィル・ギア
- ジョン・アンダーソン
1963年、ベトナム戦争の終結、核戦争禁止条約の締結など次々とリベラルな政策を打ち出してゆくジョン・F・ケネディの政策に危惧を覚えた権力者たちがケネディ暗殺の計画を秘密裏に進める。暗殺者として捕らえられたオズワルドは実は彼らが用意した囮だった…
ケネディ暗殺当初からある陰謀説のひとつをドラマとして映画化したセミ・ドキュメンタリー。ニュース映像を交えた精緻な構成には見ごたえあり。
事件から40年以上当たった今もささやかれ続けるジョン・F・ケネディ暗殺の陰謀説。この作品は事件から10年後の73年にその陰謀説をもとに作られた。基本的にはケネディの軍縮路線に反対する権力者たち、明確には言われないが軍需産業にかかわる財界の上層部の人々がその陰謀の首謀者だという考え方である。
それだけではさもあり何という感じだが、そこに加えられるのがオズワルドが何者なのかという謎だ。CIA、FBI、海軍諜報部が目をつけていたという彼を囮に選んだ暗殺の計画者たち、そこにはアメリカがスパイ社会であることが示唆されている。アメリカ政府が外国をスパイしているだけではなく、アメリカのそれぞれの諜報機関が互いをスパイする。情報は共有されず、それぞれが何をやっているかは明らかないならない。そこにさまざまな陰謀が暗躍する隙間があるというわけだ。
その論法には説得力がある。そこからあらゆる仮説が生まれるわけだ。
ただ、シークレット・サービスの無能さが強調されるところに説得力のなさというか論拠のあやふやさを感じる。複数の狙撃手を置くにはやはり警備の目をくぐらねばならず、それに説得力を持たせるにはシークレット・サービスをも陰謀側に取り込むか、さもなければ彼らが無能で警備しきれなかったということにしなければならない。そこが単独犯説、複数犯説、陰謀説それぞれがそれぞれにある程度の説得力を持つための鍵になっているように思える。
この作品はひとつの仮説として組み立てられたドラマとしては面白いが、陰謀を明らかにしたとするにはちょっとあいまいすぎる。まああくまでフィクションだからそれでいいのだし、そのことがわかっているからニュース映像を交えることでリアリティを増すようにしたのだろう。だからエンターテインメントとしてみればそれでいいのだ。
ただ、やはり最後まで気になってしまうのは、誰もが簡単に銃を手にできてしまうアメリカ社会自体の問題。結局それがあらゆる陰謀や暗殺や殺人が起き、その事件の真相がわかりにくくなる原因になっているのではないか。暗殺や殺人が事件として扱われるときに問題になるのはそれなのだ。もちろんそれがさまざまなストーリーの素となっているわけだが、現実世界にとってはあらゆる悲劇の種になっているとしか思えない。