KOROSHI 殺し
2009/5/28
2000年,日本,86分
- 監督
- 小林政広
- 脚本
- 小林政広
- 撮影
- 佐光朗
- 出演
- 石橋凌
- 大塚寧々
- 深水三章
- 光石研
- 緒形拳
会社をリストラになった浜崎はそのことを妻に告げることができず、会社に行くふりを続けていた。しかし退職金もそこをつき途方にくれていたある日、パチンコ店の駐車場である男から人殺しの依頼を受ける。最初は戸惑っていた浜崎だったが、やがてその気になり最初の殺人を犯す…
小林政広が北国を舞台に奇妙な殺し屋の生活を描いたサスペンスドラマ。
リストラされたサラリーマンが殺し屋という新しい“仕事”についてそれにのめりこんでゆく。その“仕事”の過程を描いた部分は興味深い。彼が殺す人々はどこか絶望的で心ここにあらずである。彼が正面に座っても彼を見ることはなく、まるで彼が存在していないかのように振舞う。
ある意味では彼は存在していないのだろう。彼は“死”そのもの、言い換えれば死神のようなものである。それは存在して否からこそ生きられる、その存在を感知してしまったらその時点ですでに人は死んでいるのである。だから彼は殺される人々にとってまるで存在しないかのように感じられてしまうのだ。
そしてこの作品に浮遊感が感じられるのは彼がそのような死神にごとき存在になってしまっていることに理由がある。そしてなぜそうなったかといえば、彼自身もまたすでに死神に魅入られてしまっているからではないか。彼を殺し屋に仕立てた男(緒方拳)の不思議な力はその男が人知を超えた存在であることを暗示している。
そのような不思議な関係性を描くという点ではこの作品は非常にうまくまとまっていると思う。
しかし、物語が終盤に差し掛かり、そこから展開して行こうというところでもたもたしてしまう。彼がついに死を見つめ、翻って生を見つめることになる瞬間が決定的な刹那として表れるのではなく、引き伸ばされた時間として描かれてしまうために焦点がぼやけ、結局なんの話なのかがわからなくなってしまうのだ。
このような展開の仕方だと物語り全体が幻想譚のように感じられてしまい、リアリティが失われてしまう。幻想的な雰囲気を持ちながらもリアリティが感じられるからこそこういった話は面白いわけで、ただの“幻想”では「だから何だ」というしかなくなってしまう。
小林政広は雰囲気を作るのはすごくうまい。しかしどの作品を見ても詰めが甘いと思えてしまう。オリジナルの世界観を作り上げることができたなら、そこから伝わる何かを突きつけて欲しい。ただその世界に浸ってまどろむのではなく、そこから現実へと踏み出させる何かが欲しい。そんな風に思ってしまうのだ。