ベルイマン監督の 恥
2009/6/11
Skammen
1966年,スウェーデン,103分
- 監督
- イングマール・ベルイマン
- 脚本
- イングマール・ベルイマン
- 撮影
- スヴェン・ニクヴィスト
- 出演
- マックス・フォン・シドー
- リヴ・ウルマン
- グンナール・ビョルンストランド
- ブリジッタ・ヴァルベルグ
- ハンス・アルフレッドソン
戦争のため今は島で畑を耕しながら暮らす元演奏家の夫婦、何とか静かに生活をしていたが、ついに戦火が彼らのところまで届いてしまう。銃撃と爆撃の恐怖におびえながら何とか生き延びた彼らだったが、次に待っていたのは敵側に協力したという糾弾だった…
イングマール・ベルイマンが戦争によって荒んでいく人間の心理を描いた心理ドラマ。
場所も時代も明らかではないところで一組の夫婦が戦火にさらされる。戦争が始まってから耐え忍ぶ生活をしてきた夫婦はどこかギクシャクしながらも何とか愛情を保ってきた。しかし、そこについに戦火がやってくる。戦闘機や爆撃、銃撃の轟音が彼らをいらだたせ、ふたりの関係も緊迫する。
この決定的な戦闘の場面、ベルイマン監督は戦争の“音”が与えるストレスを観客にも与えることで劇中の人物の心理をとらえさせる。長く続いた轟音の果てに訪れる静寂、それは安心感を与えるが、轟音の恐怖の経験と爆撃や銃撃の傷跡は心にも大きな傷を残す。
そしてやがて彼らは無理やりに答えさせられたインタビューを理由として敵に協力したとして糾弾され、苦境に陥る。それらの困難を経て夫婦の関係は変化し、特に夫のヤーンは性格までが変わってしまう。
それは生きることで精一杯の中で人間がどんどん人間性を失ってゆくという映画でもたびたび描かれている事実である。妻のエーヴァのほうは夫ほどには人間性を失わず、しかし夫を思いやるほどの余裕はなく、彼を蔑み拒絶するようになって行ってしまう。広がる夫婦の距離と崩壊してゆくヤーンの心、それを淡々と描くベルイマンの冷たいまなざしはまさに戦慄だ。
そして、クライマックスのシーンで大写しにされるヤーンの表情と目には恐ろしいほどの空虚と暗黒が見える。生き延びることは動物の本能である。しかし、人間は社会をもち理性を身につけることで動物の本能とは一線を画してきた。しかし、生命が危機にさらされたとき本来の動物の本能が頭をもたげ、理性による制御が利かなくなってしまう。そして一度表れた本能は理性にその場を譲ろうとはしなくなってしまう。
それを“恥”とベルイマンは呼んだ。恥という語感とはちょっと違うという感覚はあるが、果たしてこれをそのように呼べばいいのかはわからない。それは、ベルイマンに導かれてヤーンと同じ心理を経験した観客たちには感覚的に理解できるものだが、言葉で説明するとなると不可能とも思える。それはこの感覚が言葉という人間的なもの以前の感覚だからなのかもしれない。あえて名づけるならば“獣”というべきか、あるいは“麻痺”と。
観ていることが非常に不愉快な、だがだからこそいい映画だと感じる。