蛇の卵
2009/6/16
The Serpent's Egg
1977年,アメリカ=西ドイツ,119分
- 監督
- イングマール・ベルイマン
- 脚本
- イングマール・ベルイマン
- 撮影
- スヴェン・ニクヴィスト
- 音楽
- ロルフ・ヴィルヘルム
- 出演
- リヴ・ウルマン
- デヴィッド・キャラダイン
- ゲルト・フレーベ
- ハインツ・ベネント
1923年のベルリン、アメリカ人のサーカス芸人のアベルは滞在中の宿屋で自殺した兄を発見する。アベルは、兄の別れた妻マヌエラに彼の死を告げに行く。兄の怪我でサーカスを辞めていこう酒びたりの彼はその夜も酔っ払い、マヌエラの部屋を訪ねる…
舞台は第一次大戦後の不安定なドイツ、社会の不安が人々を蝕んでいく様を捉えたサスペンス・ドラマ。
人間の精神が崩れ行く様を描くベルイマン、今回はその崩壊の原因がわからないだけになおさら怖い。サーカス芸人(空中ブランコ乗り)で兄とともにアメリカからやってきたアベルは兄が怪我をしたために仕事を失い、ベルリンで酒びたりの日々を送っている。そんな中突然兄が自殺、死んだ兄をアベルが発見するシーンでその死体はアベルの背中越しに小さく映るだけ。観客にそのシーンの意味を理解する機会を与えないまま物語は進行する。
主人公のアベルは何かに怯え、いらつき、さまよう。超インフレの社会、ユダヤ人であることが危険になりつつある社会、その社会に入り込んだ異邦人でありユダヤ人であることに対するおびえなのか、それとも他に何か原因があるのか?
そしてアベルが一緒に暮らすことになる兄の元妻マヌエラも何かに追われるように怯えて暮している。体を壊すまで働きづめで病気を治そうともしない。一体何が彼女をそこまで駆り立てるのか?
理由はなんだかわからないが、彼らは何かに駆り立てられ、彼らは怯え、逃げ惑い、追い詰められてゆく。そこには底知れぬ怖さがあるが、なんだかわからないだけに興味を維持し続けるのは難しい。
警察によって明らかにされるアベルの周囲で続発する変死が関係ありそうだということは理解できるのだが、それらの死にまつわる事実が明らかになっていくということはなく、ただただアベルとマヌエラの生活が描かれるだけなのだ。そこにあるのは思わせぶりな目配せと怪しげな人々、社会の不穏な空気と不信感、ただそれだけだ。
それだけで1本の映画を作ってしまうというのは確かにすごいが、果たしてこのように恐怖を生み出すことだけで映画として成立しえるのだろうか? ひとの精神が崩壊してゆく様を描いてそこに意味を見出しうるのは、その崩壊の理由を読み解くパズルが隠されていたり、誰にもおこりうる原因が示唆されていたりして観客がその崩壊をある意味で追体験できるときに限られる。
この作品のアベルとマヌエラの精神の崩壊はわけがわからず、観客はその様を呆然と眺めるしかない。最後まで観ればその原因は明らかになるのだけれど、それを推測することは不可能だ。
それでもこのときのドイツ社会の状況やデカダンな雰囲気は精神の崩壊を予感させるものではある。そう考えると、主人公が空中ブランコ乗りだというのは示唆的なのかもしれない。死と隣り合わせの危険な状況から別の状況への飛躍、その飛躍の瞬間に最大の危険が存在する。これまでのベルイマンの作品は空中ブランコというよりは綱渡りのイメージに合致していたが、そこに飛躍が加えられたのかもしれない。
そんな風に考えてもなかなか理解し難いが、とにかく恐ろしい。