それでも恋するバルセロナ
2009/6/24
Vicky Cristina Barcelona
2008年,スペイン=アメリカ,96分
- 監督
- ウディ・アレン
- 脚本
- ウディ・アレン
- 撮影
- ハビエル・アギーレサロベ
- 出演
- ハビエル・バルデム
- ペネロペ・クルス
- スカーレット・ヨハンソン
- パトリシア・クラークソン
- ケヴィン・ダン
- レベッカ・ホール
- クリス・メッシーナ
旅行でバルセロナを訪れた親友のヴィッキーとクリスティーナ、ヴィッキーは堅実な性格で結婚を間近に控えるが、クリスティーナは奔放な芸術家肌で情熱的な男性を捜し求めていた。そんな彼女たちヴィッキーの親戚夫妻とともに訪れたギャラリーで画家のフアン・アントニオと出会う。クリスティーナはひと目で彼に惹かれるが、よくない噂があるといわれヴィッキーは二の足を踏む…
ウディ・アレン自身が大好きだというバルセロナを舞台に豪華キャストで展開される人生/恋愛劇。ペネロペ・クルスがアカデミー助演女優賞を受賞
ウディ・アレンはこれが37本目の監督作品。その経験によって培われた人物描写の深みがこの作品の最大の魅力だ。堅実なヴィッキー、奔放なクリスティーナ、破滅的なマリア・エレーナ、そしてフアン・アントニオ、そのように一つの形容詞で描写されうる彼らの表面的な特徴と時に相反し、時に相容れる彼らの人物像がじっくりと描かれている。
そしてそんな彼らが関わりあうことによって生じる衝突や愛情、それらが映画として表に出てくるものだ。その表面を漂う感情から人物の深みを読み取る、それがこの映画の基本的な見方ということになるだろう。それは登場人物たちが新たな出会いとともにその出会った人たちと自分自身とを探ってゆく道のりに寄り添うものでもある。
そんな風に考えると、この物語の中で興味深い人物は両極端にあるように見えるヴィッキーとマリア・エレーナだ。堅実で安定した人生を望むヴィッキーはフアン・アントニオに出会って心乱される。スパニッシュギターに象徴されるロマンティズムは彼女に自分に欠けているものを見つけさせてしまう。
マリア・エレーナは逆に常に何かが欠けていると感じていた。それが彼女の激情の源であり、その欠けているものを探し続けることが彼女のバイタリティであり、同時に探し続けなければならないことが彼女の不幸の源であった。そして、その欠けているものがクリスティーナだったというのがこの物語の本当の眼目である。
そこにすべての登場人物の関係は収斂する。その収斂した地点から翻ってそれぞれの人物を眺めてみると、本当にいろいろに考えられる。
そしてマリア・エレーナがクリスティーナに言う「あなたは私たちを利用した」という言葉、これに対してクリスティーナは何も反論しないが彼女はわれわれと同じ戸惑いを感じていたのではないか。しかし、マリア・エレーナにとってはそれが真実であり、この映画にとってもそのような見方が非常に重要になってくるのだ。人間と人間関係と、それをさまざまな角度から眺めて見ること、それがこの映画がわれわれに投げかける課題だ。
バルセロナというのはアメリカ人(というよりはアメリカの都会人)にとって適度にエキゾチックで適度に都会的な場所なのだろう。古い町並みが残り、近代的な芸術にあふれ、ロマンティックな雰囲気も漂う。それはバルセロナがさまざまな顔を持ち、見ようによってはさまざまに観れるということでもある。それはまさにウディ・アレンが描き出す人物のように。だからウディ・アレンはバルセロナを愛し、この物語の舞台にしたのだろう。
人とバルセロナ、その魅力をどう引き出すかは観る人の見方にかかってくる。