コッポラの胡蝶の夢
2009/6/26
Youth without Youth
2007年,アメリカ=ドイツ=イタリア=フランス=ルーマニア,124分
- 監督
- フランシス・F・コッポラ
- 原作
- ミルチャ・エリアーデ
- 脚本
- フランシス・F・コッポラ
- 撮影
- ミハイ・マライメア・Jr
- 音楽
- オスバルド・ゴリホフ
- 出演
- ティム・ロス
- アレクサンドラ・マリア・ララ
- ブルーノ・ガンツ
- アンドレ・M・ヘンニック
- マーセル・ユーレス
- アレクサンドラ・ピリチ
1938年ルーマニア、老言語学者のドミニク・マティはクリスマス・イヴの日、ブカレストの街で雷に打たれる。やがて病院で意識を取り戻したドミニクは肉体が若返り、知的能力も格段に向上していることを知る。ドミニクは彼を利用しようとするナチスの手を逃れスイスへと亡命するが…
フランシス・F・コッポラがエリアーデの『若さなき若さ』を映画化。幻想的で難解、そういう世界が好きな人はぜひ。
ミルチャ・エリアーデといえば『世界宗教史』を書いた宗教学者であり幻想文学の作家でもある。またインド哲学にも通じ、サンスクリット語を含めたさまざまな言語を流暢にしゃべることができる人物だったともいう。そしてまたオカルティズムにも関心を抱き、その功績は『オカルト事典』という編書にまとめられた。
難解さとどこか超現実的な感じをとらえきれないままこの映画を観終わって、原作者としてエリアーデの名前がクレジットされているのを観て何とはなしに納得してしまった。実際にエリアーデの小説を読んだことはないが、その名前は常に難解さと結びついてイメージされる。
そのおそらく大変に難解であろう原作を映画化したコッポラはかなりうまくまとめているのだと思う。雷に打たれて若返ってしまい超人間的な力まで手に入れてしまった男、すべてが幻想のようでありながら、彼の歩みには興味深い部分がたくさんある。説明するのは難しいのだが、彼の2度目の人生は彼の分身に導かれ意義深いものになってゆく。未完で終わるはずだった研究がさまざまな運命に導かれて完成に近づき、その中でさまざまな不可思議な出来事が起きる。
分身(ドッペルゲンガー)、輪廻、霊媒といった現象はオカルト研究者であるエリアーデらしいトピックでもあり、それらが非常にうまく組み合わされているように見える。そしてそのような超常現象は常に宗教と結びつく。
そのようなさまざまなトピックがちりばめられ、興味を失うことなく最後まで見ることができるわけだけれど、究極的にこの物語が何を言わんとしているのかを理解することは難しい。最後に見出されるのは“愛”の問題であると私は思うが、果たしてそれがオカルトや宗教とどう結びつくのか。
最終的には主人公のドミニクが若返って再び過ごすことになった人生とは結局なんだったのかを解釈することがこの作品の持つ意味を理解することにつながるのだろう。そして(コッポラなりの)解釈が最後に示されているようには思える。しかし、“愛”に重きを置くその解釈で本当にこの作品が理解できるかどうかは不明だ。彼が超人的な能力を与えられたことに対する意味が最終的に棚上げされてしまってはいまいか? エリアーデが描こうとしたのはもっと深いところにある“何か”であるような気がするのだが…
このような作品にも最終的には“愛”に還元されてしまうというハリウッドの悪しき伝統が頭をもたげたということか? それとも宗教の本質は常に“愛”にあるということなのか? 疑問が疑問を呼び、解釈は永遠に定まらない。まあそれでいいと思うけれど、ハードルは高い。