コドモのコドモ
2009/7/13
2008年,日本,122分
- 監督
- 萩生田宏治
- 原作
- さそうあきら
- 脚本
- 宮下和雅子
- 萩生田宏治
- 撮影
- 池内義浩
- 音楽
- トクマルシューゴ
- 出演
- 甘利はるな
- 麻生久美子
- 宮崎美子
- 谷村美月
- 斉藤暁
- 伊藤梨沙子
- 塩見三省
- 上野樹里
小学校5年生の春奈は親友三人でつるみ、ファッションやプリクラに興味を持っていて、男子はガキだとバカにしている。しかし、幼馴染のヒロユキとは仲良くし、“くっつけっこ”をしたりしていた。ある日、新任の八木先生の性教育の授業で“くっつけっこ”の意味を知った春奈は自分が妊娠しているのではないかと心配し始める…
同名コミックの映画化。小学生の妊娠というセンセーショナルな内容だが、作品は意外に穏やか。
小学生が妊娠する。それは、子供が命の意味や子供を生むことの意味を考える機会となることを意味するだろう。題材も面白いし、描こうとしていることも興味深い。ならば、面白い映画になるかといえば必ずしもそうではない。つまらなくはないが、もっと面白くなったはずだという物足りなさが全編を通して感じられてしまう。
小学生の子供の妊娠を親が気づかないはずがないとか、リアリティに欠ける部分は多々あるが、まあそれはあまり気にはならない。この物語はそもそも「小学生の妊娠」というセンセーショナルな出来事を経験する子供たちの物語であり、その出来事が現実に起きたらどうなるのかを描いたものではないからだ。
この「小学生の妊娠」を子供たちがどうとらえるかを描くためにはそこに大人を介在させてはいけない。大人を介在させてしまえば子供は大人に頼り、大人の価値観が子供に押し付けられてしまう。ここでは子供は彼ら自身の頭で考え、彼らの少ない経験の中から、命と対峙するほうほうを見出さなければならないのだ。
命の意味というテーマからいえば、主役の春奈を演じた甘利はるなが同じく重要な役で出演した『ブタがいた教室』に通じる。コチラの作品では妻夫木聡演じる教師が介在してはいたが、彼はなるべく子供たちで考えるように仕向けていた。
この『コドモのコドモ』は教室で授業として行われる「命の授業」を実地でしかも本当に子供たちだけでやってしまった様子を描いたということになる。
ということで、作品の意義はよくわかるのだが、映画としては今ひとつといわざるを得ない。
まず、登場人物たちがあまりにステレオタイプすぎる。教師や婦警があまりに型にはまりすぎていて、人間味が感じられない。命の意味を考えさせる物語であるならば、登場人物の一人一人がもっと“人間”である必要があったのではないか。登場人物に人間味がないために、この映画は人間の物語ではなく、単に出来事を描いたものになってしまった。
それとも通じるのだが、小学生が妊娠するということの大変さが伝わってこないというのも気になったところだ。子供たち自身は無知ゆえにその大変さに気づかなくとも、観客である大人にはその大変さが伝わるような映画作りをして欲しかった。小学生が妊娠したというのに、いつか大変なことになるという緊迫感が皆無なので、映画としても緊張感を欠くものになってしまった。
最終的に、大人も子供から学ぶことはいくらでもあるというメッセージは伝わってきた。そして、そのような心を失ってしまった大人が多いことも。それだけに全体にしまりのない展開が残念だ。上野樹里が登場するシーンなど、面白くなりそうな要素は結構あるのに…