ブラインドネス
2009/7/16
Blindness
2008年,日本=ブラジル=カナダ,121分
- 監督
- フェルナンド・メイレレス
- 原作
- ジョゼ・サラマーゴ
- 脚本
- ドン・マッケラー
- 撮影
- セザール・シャローン
- 音楽
- マルコ・アントニオ・ギマランイス
- 出演
- ジュリアン・ムーア
- マーク・ラファロ
- アリシー・ブラガ
- 伊勢谷友介
- 木村佳乃
- ダニー・グローヴァー
- ガエル・ガルシア・ベルナル
車を運転していた日本人男性が突然視力を失い立ち往生する。その後、彼を診た眼科医、彼を家まで連れ帰った男、彼と眼科で会った患者たちが次々と発症、感染症として隔離されることに。眼科医の妻は発症しなかったが彼とともに隔離病棟に。その病棟は収容者が増えるとともに地獄と化して行く…
ノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの『白い闇』をフェルナンド・メイレレスが映画化。いわゆるパニック映画とは異なる恐ろしさに溢れた力作。
突然目が見えなくなった人々が元精神病院に隔離される。その中にひとりだけ目に見えるジュリアン・ムーアがいる。彼女と彼女の夫の眼科医の努力もあって最初は秩序が保たれているのだが、入所者が増えると混乱が増してゆく。
この映画はかなり怖い。謎の病原菌によって次々目が見えなくなることが怖いというよりは、目が見えなくなった人々が怖い。突然目が見えなくなった人々の間で秩序を保つのは難しい。彼らは混乱しているだろうし、みんな目が見えないから清潔にするとか整理するとかいったことにあまり意味を見出せなくなってしまうのだろう。
目が見えなくなるということはある意味では自分というものと対峙しなければならなくなることを意味する。外の世界とつながる上で最も重要であった目というツールが奪われたとき、人々は自分の肉体という殻の中に閉じ込められてしまう。そんな人たちが隔離病棟というもう一つの殻の中に押し込められる。
つまり、そこにいる多くの人々は外部のことがどうでもよくなってしまう。そのような状況の中ではそれを利用して自分の欲望を満たそうという人々が出てくる。そしてまた他方では自己を犠牲にしてでも連帯を訴え、秩序を取り戻そうという人もでてくる。
この状況が恐ろしいのは、選択の余地が恐ろしく少ないからだろう。重要な感覚が断ち切られている上に、とりうる行動の可能性があまりに少ない。それがパニックを引き起こす。だから、この映画はいわゆるパニック映画とは違うが、やはりパニック映画であるのだ。
しかし、この物語が示唆する意味とは何だろうか。一番わかりやすいのは「一時的に盲目になったことで、重要なものが見えていなかったことに気づく」という教訓的な意味だろう。しかしそれだけではジュリアン・ムーアの存在の意味がわからない。この物語における“見える人”ジュリアン・ムーアの存在意義とは一体なんなのか。
考えて見ると、ジュリアン・ムーアはこの隔離病棟の中では神に近い存在だ。人が見えないものが見え、人ができないことが出来る。だとしたら、彼女の存在が示唆するのは「神は人々の中にいる」ということなのだろうか? 彼らの闇が“白”だというのもどこか神の存在を感じさせる。そして後半には教会のシーンも登場し、聖像に目隠しがされているさまが映し出される。
この教会のシーンは示唆的だ。人々には神が目隠しされているところは見えないはずなのだ。それでも誰かが目隠しした。それが意味することとはなんなのか?
ちょっとその辺りはもやもやとしている。何かを意味していそうだけれど、はっきりとはわからない。
思うのは、そのような状況で人々は何かにすがろうとするということだ。宗教、人、絶望、などなど… 自分ならどうするだろうか?と問いかけずにはいられないところはいい映画だと思う。