ハンサム★スーツ
2009/7/22
2008年,日本,115分
- 監督
- 英勉
- 脚本
- 鈴木おさむ
- 撮影
- 小宮山充
- 北川聡
- 音楽
- 川口大輔
- 出演
- 谷原章介
- 塚地武雅
- 北川景子
- 佐田真由美
- 池内博之
- 大島美幸
- 本上まなみ
- ブラザー・トム
- 伊武雅刀
誰が見ても不細工な大木琢郎は告白して振られること101回、しかし亡き母の定食屋を継ぎ、その店は大繁盛。そんな店にアルバイトとして寛子がやってくる。一目惚れした琢郎は告白するが…
人気放送作家・鈴木おさむのオリジナル脚本をCMディレクターの英勉が監督し映画化。役者もよく、軽妙な感覚も悪くないが…
ブサイクの代名詞ドランクドラゴンの塚地がハンサムになれるスーツを手に入れてハンサム体験をする。それはもうブサイクなこれまでの人生とは180度違う幸福な時間。でも、本当の幸せってナンだろう?とふと考えてしまう。
このテーマは“人は見た目ではない”というあまりにありきたりなテーマだが、その割には展開に面白みがあり、悪くない。有頂天になったブサイクがとる行動というのもよく描けているし、「本当の自分」というものを求める心情というのもよくわかる。
そしてそれがうまく表現されている大きな要因は役者たちの好演だ。すでに役者としての定評を得た塚地はほとんど地という感じですごく自然だ。そしてその上を行く好演をしたのは谷原章介だろう。ハンサムに慣れたブサイクを本当にうまく演じ、常にその内側にいる塚地を意識させるように観客を操っている。佐田真由美も大島美幸もよかった。
細部へのこだわりも映画の世界を築く上で大きな助けになっている。ちょっとわかり安すぎる感じもしなくはないが、それぞれのキャラクターの服装や髪型、そして招き猫ならぬ招き豚のような小道具まで気を使っているという感じはする。
そんな感じで前半はなかなか楽しめるのだが、展開の仕方とオチが見えてきた後半は、オチが見え見えなのにもかかわらず前半と同じようなペースで物語が展開されるために、もたもたした感じを強く感じてしまう。
それに全体を通して音量差が大きいというのもよくない。狙いとしては音の大きさで琢郎のハッピーさを表現しようとしているのだろうが、小さい音は聞きづらいし、急に大きい音が鳴るとびくっとする。こういう音量差を使った演出というのはいらだたしいばかりで効果的とは思えない。退屈で観客が寝てしまうのを恐れて時々大きな音を出すのだろうか?
そんな展開と演出だから、どうしてもぼんやりとテーマとなっていることに想いがいたるわけだが、そこに想いが至ってしまうと、逆にどうにも納得が行かなくなってしまう。
この作品は「本当の自分」あるいは「ありのままの自分」というものの美しさというか素晴らしさというものを描いていると思うのだが、果たして本当にそんなものはあるのだろうか? ここで「本当の自分」というとき、それは外見に左右されない自分の内面ということを言っているわけだが、果たしてそんなものが存在するのだろうか?
私は“自分”には常に見た目というのも含まれていると思う。そしてその見た目というのは単に肉体的な特徴だけでなく、センスだとか雰囲気だとかいったものも含めた「外に表れる自分」である。それは「本当の自分」を覆い隠すものではなく、あくまでも“自分”の一部であるのではないか。
そして、その表層の下にあるのは「本当の自分」というよりは「より深い自分」であり、“深い”ということは“真の”ということとイコールではない。
むしろ現代人というのは「本当の自分の内面」というもの(つまり自分の深層)を同定できていないのではないだろうか。だから自分探しなんてことが流行り、「本当の自分とは何か」という問いを自分に投げかけ続ける。
そしてそれは同時に外見にアイデンティティを求めてしまうことにつながる。「本当の自分」が何かわからなければ見えているものを“自分”と考えるしかないからだ。
しかし、そんな外見を取り除いた「本当の自分」なんてものはそもそもありやしないのだ。外見を取り除いてしまったら自分は自分ではなくなってしまう。「本当の自分を見て欲しい」なんてのはガキのたわごととしか私には思えない。
と書いてしまうと、この作品全体を否定してしまうことになりかねないのだが、まあこの作品はそこまで深い話をしているわけではなく、「人は外見じゃないよね」という軽い話をしているのでまあそれでいいとは思う。
冗長で退屈だったためにちょっとそんなことを考えてしまったというだけのことだ。作品としては、ブラザー・トムとかいろいろといい脇役を使っているんだから、もっと脇役に活躍の場を与えかつプロットの冗長さをそぎ落としていればいい作品になっただろうし、余計なことを考える暇を観客に与えずにすんだとも思う。なかなか難しいものだ。