婚期
2009/8/3
1961年,日本,98分
- 監督
- 吉村公三郎
- 脚本
- 水木洋子
- 撮影
- 宮川一夫
- 音楽
- 池野成
- 出演
- 若尾文子
- 京マチ子
- 野添ひとみ
- 船越英二
- 高峰三枝子
- 北林谷栄
- 市田ひろみ
波子と鳩子の姉妹は兄が継いだ実家に暮らすが、兄嫁の静が気に入らない。そんな静のところにある日、夫には愛人がいて子供もいるという手紙が来る。これは実は小姑ふたりの兄嫁を追い出そうという策略だったのだが…
嫁とふたりの小姑の争いをコミカルに描いた喜劇。登場人物の微妙な心理が絶妙に描かれた軽妙な秀作。
この映画はいろいろ面白い。
まず、面白いなと思うのは北林谷栄。よぼよぼの婆さんを演じさせたら右に出るものはいないというのはすでに言うまでもないことかもしれないが、この作品で彼女はぽんぽんと気の効いたせりふを吐く。長年家で働くばあやなのに家の娘達からはバカにされ、ひどい扱いを受けるが、それを見事に切り返すセリフがなんとも味がある。
京マチ子が貞淑な妻を演じるというのも意外だが、これが案外はまっている。京マチ子のイメージといえばやはりグラマラスで妖艶な美女なわけだが、この作品ではその妖艶さを出すことはほとんどなく、小姑たちの攻撃に耐え忍ぶ貞淑な妻を一貫して演じている。これだけ従来のイメージに反する役なのにまったく違和感を感じさせないのはまずはやはり役者として一流だからに違いない。
しかし若尾文子もまた従来のイメージとは違う役柄を案じ、この対象が互いを引き立てたようにも見える。若尾文子はデビュー当時に大映の社長永田雅一が「低嶺の花」と評したように、親しみやすいキャラクターを演じてきた。もちろん歳を重ねるごとに妖艶な年増の美女という役柄も増えはしたけれど、基本的にはいい人なのだ。その若尾文子が本当にいやな小姑を見事に演じている。
しかも、徹底的にいやな奴を演じていながら最後の最後には異なる一面も垣間見せるのだ。それはこの一見単純でステレオタイプ化されているように見える喜劇に潜む深みでもある。京マチ子も、若尾文子も、野添ひとみも、高峰三枝子も最初はある種のステレオタイプにはめうるキャラクターとして登場するが、物語が進行するにつれその奥に複雑さを秘めていることが明らかになってゆく。これがこの物語を単なる喜劇に終わらせないで置く最大の要素になっている。
そんな魅力的な物語になっている最大の要因はおそらく水木洋子の脚本によるものと思うが、吉村公三郎の演出も大きな要素になっているのも間違いない。
それを強く思うのは、船越英二の存在だ。彼は実力を発揮する女優たちの陰でいつも通りのもてるけれども情けない色男えお演じているが、この彼の情けなく優柔不断な存在が物語を展開させ、周囲の女性たちの素を引き出しているのである。吉村公三郎は『夜の蝶』でも船越英二を狂言回しに使ったが、その演出とキャスティングはまさに絶妙だ。
そしてもちろん宮川一夫の映像も物語に説得力を与える大きな要素になっている。こたつを囲んでいた4人がそこから離れていく様を真上からとらえたショットなど「うむ」とうならせるショットがいくつかあるし、さりげないショットもいつも通り秀逸だ。
ちょっとラストは唐突過ぎる印象があり、なんだか収まりきってないのかという気もするが、まあこれは喜劇、すべてがすべて収まるところに収まらなくてもいいのかもしれないと思う。