リリア 4-ever
2009/8/10
Lilja 4-ever
2002年,スウェーデン,105分
- 監督
- ルーカス・ムーディソン
- 脚本
- ルーカス・ムーディソン
- 撮影
- ウルフ・ブラントース
- 音楽
- ネイサン・ラーション
- 出演
- オクサナ・アキンシナ
- アルチオン・ボグチャルスキー
- エリーナ・ベニンソン
- リリア・シンカレヴァ
旧ソ連のとある町、16歳のリリアは母親が結婚しアメリカに行くのに大喜びするが、前日になって今は連れて行けないといわれる。ひとりになったリリアはお金もなくなり、友人にも裏切られ、やがて売春に手を染めるようになる。しかしそこにスウェーデンにつれて行ってくれるという男が現れるのだが…
スウェーデンの新鋭ルーカス・ムーディソン監督の社会派ドラマ。残酷で痛ましい。
アメリカに新天地を求めた母親に置き去りにされた少女リリア、叔母の冷たい仕打ちもあって学校にも行かず、お金もなくなる。そして、売春をした親友にその罪を擦り付けられてともだちとの付き合いもなくなってしまう。やがてお金もなくなり本当に売春に手を染めるようになったリリアの友達は近所に住む少年ボロージャしかいない。そんなリリアが親切な青年アンドレイに出会い、スウェーデンに一緒に行こうと言われるのだが、それは彼女を騙すためのえさでしかなかった。
親に捨てられ希望を抱けないどころか、少女売春の世界に引きずり込まれどん底へと沈んでいく少女、それはあまりに悲惨で残酷な世界、子供の未来を奪う大人の残忍さ、それがこの作品に描かれているものだ。
そしてその残忍さがやってくるのは貧困や暴力といった社会状況からだ。どことは知れない旧ソ連の町、その町には本当に何もない。あるのは廃墟と画一化された古びた集合住宅だけ。そこに未来を見出せといわれても無理な話で、大人も子供もそこから出て行くことしか考えていない。そのような場所では欲望と力がすべてを支配する。他人から何かを奪い自分が生き残ることが唯一の生き方になってしまうのだ。
スウェーデンはそのような場所ではないはずだが、どのような場所にも(それが都会であれば)そんな欲望と力に支配されている空間は存在する。そこでは力の弱いものは食い物にされ、未来を奪われる。それは本当に悲惨だ。
この作品の結末を言ってしまうと、ボロージャもリリアも最後には自殺してしまう。そしてふたりは天国に行く。自殺者は天国にいけないというのがキリスト教の教えだが、この作品のその死後の世界の場面はあくまでもリリアの空想として現れる。だから慈悲深き神にすがる彼女はそこに天国を見出すのだ。あるいはそこに天国がなければ彼女には本当に逃げ場がなくなってしまうのだ。
実はこの作品が描いているのは彼らには本当に逃げ場がないということなのだ。本当は彼らは天国になど行けやしない。天使になったボロージャがいうように人生は一度きりでやり直すことは出来ないのだ。しかしそれでも彼らには死ぬことが天国であると思えるほどに現実が厳しいものになってしまっている。
しかしこの作品をさらりと見る限り、天国というのはあくまでも最後の逃げ場として提示されているように見える。自殺は救いだと言っているように見えてしまう。その部分はこの作品の最大の難点であり、結局大人の側に加担してしまう結果につながっている。
救いのない結末自体には反対しないが、その救いのなさが大人たちの身勝手を糾弾する結果にならなければ、彼らの死を教訓にすることは出来ない。そのせいでなんとも後味の悪い作品になってしまっている。