不知火海
2009/8/26
1975年,日本,153分
- 監督
- 土本典昭
- 撮影
- 大津幸四郎
- 音楽
- 中世教会音楽より
- 出演
- ドキュメンタリー
長崎県と熊本県の間に横たわる内海、不知火海。水俣はその南に位置する。水俣から始まった水銀汚染は水俣湾から不知火海全体へと広がる。水俣では訴訟もひと段落し、患者さんたちもそれぞれの生活を送るようになる中、不知火海のほかの場所へと水俣病は広がってゆく…
土本典昭が水俣病患者たちのその後と、水俣を抱える不知火海に広がる水銀汚染を描いた作品。
水銀に汚染された水俣の海、漁民たちは魚を獲り、それを捨てる。湾内のヘドロの回収と並行して汚染魚の回収も行われているのだ。しかし漁民たちはヘドロとともに捨てるのではなく、死んだ魚を海に帰す。その理由は明らかにならない。
胎児性を中心とした水俣病患者のためのリハビリセンター。『水俣 患者さんとその世界』に登場した少年が17歳になって再登場する。言葉はしゃべれないが、相手のいっていることは理解し、身振りで会話を成立させる。そのリハビリセンターの日常は数年前とほとんど変わらない。その日はひな祭りのイベントが行われていたが、そんな日でもそこを訪れる来訪者はいない。
リハビリセンターの患者の少女が精神神経科の医者と会話するというシーンもある。会話も出来て他と比べると比較的軽症といえる彼女の悩みを医師が丹念に聞くが、途中で少女は泣き出してしまう。
家族7人が患者だという渡辺さん一家は賠償金で大きな家を建て、趣味の模型を作って日々を過ごしている。模型の機械以外にもビデオカメラなどもあり、内装も豪華で賠償金でいい暮らしをしているように見えるが、漁師だった渡辺さんは「仕事をしたい」とつぶやく。趣味はあくまで趣味、仕事のように毎日が探求であるという楽しみはないんだと。
5人の子供を持つ女性は突然病状が悪化したが、信仰によってそれが回復したと語る。そして自家製のどくだみ茶で体内の毒を出したという話をとうとうと語る。彼女の話は当を得ないのだが、彼女の幸福感は伝わって来る。
不知火海(八代海)で水俣の対岸に位置する御所の浦、この地に住む人々にも水俣病の症状が見られ、初期の調査では毛髪における水銀含有量が驚くべき数値を出した人々もいたという。しかしこの地の水俣病患者の認定や支援は進まない。それはそもそもこの土地の人々が水俣病に認定されることを望まないからだ。
これらのエピソードはどれも苦い余韻を残す。土本典昭はそれぞれのエピソードで被写体となる人々を執拗に映し続ける。多くの場合は長いカットで、その言葉その表情を捉え続けるのだ。そこに解説はなく、インタビュアーの質問も最小限である。彼らの話に100%共感できるわけでは決してない。むしろ反感を覚えたり、歯がゆさを感じたりすることのほうが多い。しかし、その姿こそが彼らの生の姿なのだ。そこがこの作品が、自分の主張を正当化するために撮りためた映像素材を切り貼りしてつないだプロパガンダ的ドキュメンタリーとは決定的に違うところだ。
このやり方ははっきり言ってわかりにくい。何を言いたいのか焦点が定まらないし、映像そのものに違和感を覚えることもある。しかし見る側が映画に盛り込まれた素材を自ら組み立てることで初めて見えてくるものもある。映画の冒頭にさらりと語られた魚を海に帰す漁民たちと、病気になっても海から離れられないと語る女性の間のつながりを見つけることが出来れば、この作品の底流にある人と海との関係をぼんやりと理解することが出来るはずだ。すべてのエピソードが無関係なようでいて海と魚と生活とにつながっているのだ。
印象としては『水俣 患者さんとその世界』に比べはるかに地味だが、映画的には洗練されており、噛めば噛むほど味が出るそんな作品になっていると思う。