みなまた日記 甦える魂を訪ねて
2009/9/3
2004年,日本,98分
- 監督
- 土本典昭
- 音楽
- 喜納昌吉
- 出演
- 土本典昭
- 喜納昌吉
水俣病発生からおよそ40年後の1996年、水俣病の犠牲者の遺影を集めた展覧会を東京で企画するに際して、土本典昭は夫人とその遺影の撮影のために水俣を訪れた。物故者のリストがない中、地元の人の協力で亡くなった人のいる家を一軒一軒訪ね遺影を撮影するという作業を約1年にわたって続けていく。
作品はその取材期間に水俣で見聞きした出来事をまとめたもの、ドキュメンタリー作品というよりは取材の記録だが、その淡々とした調子がまた味わい深い。
撮影は16mmカメラではなく家庭用ビデオ機材と思われる。最初など右下に日付が入ってしまっていたりする。おそらくそもそもドキュメンタリー映画として企画したのではなく、展覧会のための取材の記録として残しておくためのものだったのだろう。
そのため、映画として形をなすための構成というようなものが撮影時点で考えられておらず、それが逆に生々しくもある。ストーリーがあるのではなく、取材の間に出会ったさまざまなイベントを通して水俣病の患者さん達とその周囲の人々の“今”が生き生きと見えてくるのだ。
それは患者の集まる忘年会であったり、その都市から始まった火祭りであったり、資料館で行われる患者による語りであったり、患者が住む地域で行われるクリスマス会であったりする。あるいはそもそも水俣病が始まった排水口のところに阿賀(第二水俣病の発生地)から贈られた石の地蔵を(無許可で)設置したり、水俣病に共感を覚えて沖縄からやって来た喜納昌吉のコンサートが行われてりという外とのつながりも描かれる。
そして、患者さん達が集まる中にはこれまでの作品に登場した人も登場する。胎児性の患者には馴染みのある顔も多いが、皆すでに若者の時代を過ぎようとしている。火祭りで巫女として歌を詠んだ杉本栄子さんは『不知火海』の中で信仰によって病状が改善したと語った女性だ。そんな人たちが元気な顔を見せてくれるのは嬉しい。しかし逆に集めた遺影の中に以前登場した患者さんが混じっているのを見るのはつらい。
つらいけれどそれは水俣病が経てきた時間をあらわしている。40年もたてば胎児性の患者さんも中年に差し掛かり、亡くなる人も多い。しかし水俣病は終わっていない。水俣病をライフワークとした土本さんも亡くなってしまった。果たして彼の遺志をついで水俣病を映画という形で語り継いでいく人は現れるのだろうか?
映画の最後は喜納昌吉さんの音楽に載せて水俣の各地で撮られたと思われる地蔵の写真がスライドショーのようにしてうつる。これらの地蔵はどこか水俣病の患者さんの思いが込められているように見える。その形がそう思わせるのか、映画の途中でも石仏を作る活動についても述べられていたが、患者さんたちの想いがその地蔵に込められているからだろうか。
石仏も映像作品も記憶を風化させないために大切な創造物である。土本典昭が監督した最後の作品でもあるこの作品は「水俣を語り継ぐべし」という大切なメッセージを私たちに残した。