食堂かたつむり





2010/10/14
2010年,日本,119分
- 監督
- 富永まい
- 原作
- 小川糸
- 脚本
- 高井浩子
- 撮影
- 北信康
- 音楽
- 福原まり
- 出演
- 柴咲コウ
- 余貴美子
- ブラザー・トム
- 田中哲司
- 志田未来
- 満島ひかり
- 江波杏子
- 三浦友和

田舎町で「不倫の子」とバカにされて育った倫子は中学を出ると都会に出て、祖母と暮しながらレストランを開く夢を見るようになる。祖母の死後、残された糠床を大切にしながらレストランの夢に近づいていくが、恋人に騙されて無一文になり、しゃべることもできなくなってしまう。彼女は仕方なく田舎に帰ることにするが…
同名のベストセラー小説を『ウール100%』の富永まい監督が映画化。出てくる料理がすごくおいしそう。

失恋でしゃべれなくなったなどの前置きはまあいいとして、倫子が食堂を始めて、唯一の協力者くまさんを最初のお客に招待して供する「ザクロのカレー」、これがとてもおいしそうだった。料理をプロデュースしたのはオカズデザインというユニットで、その料理自体も美味しいのだろうけれど、調理の過程もあわせて料理を美味しくとる技術もすぐれているし、あとはブラザートムの食べ方もその一助になっている。
このザクロのカレーにはじまって色々な料理が出てくるが、そのどれもがおいしそう。そのように感じられる最大の要因は料理のリアリティだろう。ただ料理を映して「おいしいおいしい」と言って食べるのではなく、むしろ「おいしい」という表現は控えめにしておいて、調理の過程をしっかり映す。素材もしっかり映して、その素材が調理されて料理として出てくるというリアリティを見事に演出しているわけだ。
そのリアルな調理シーンとは対照的に、料理を食べた後や倫子の日常ではアニメーションを使ったファンタジックなシーンが用いられる。これらのシーンから容易に想起できるのは『アメリ』で、若い女性が主人公で料理が重要な要素になるという点も似ている(ラブ・ストリーではないが)。『アメリ』がヒットして以降、アメリ的な作品が多数生まれたが、この作品もその系列に並ぶわけだ。別にそれが悪いと言っているわけではないが、素朴な料理のリアリティが魅力的なだけに、ごてごてと飾り立てるような要素が必要だったのだろうかという疑問を持った。
物語について考えていくと、おっぱい山に象徴される「田舎」は母の象徴であり、そこには本当の母親もいるわけだから、田舎に帰ることは倫子にとってある意味では胎内回帰であるといえる。無一文になり、しゃべることもできなくなった彼女がいったん胎内に戻ってそこからやり直す。そういう物語だと理解するとすっきりする。母親の秘密もそこから起きる新たな展開もすべては倫子が「生まれなおす」という物語の一端を担うわけだ。
そう考えるとその「胎内」がファンタジックな風景であるというのも納得はいく。全体的になんというか調和が取れていないだけで一つ一つの要素はすぐれたものがあるということだろう。だから、まあ面白いんだけれど何かそれほど印象に残らないそんな作品になってしまったという感じだろうか。
まあ面白いんだけどね…