ブライトン・ロック
2010/10/19
Brighton Rock
2010年,イギリス,111分
- 監督
- ローワン・ジョフィ
- 原作
- グレアム・グリーン
- 脚本
- ローワン・ジョフィ
- 撮影
- ジョン・マティソン
- 音楽
- マーティン・フィップス
- 出演
- サム・ライリー
- ヘレン・ミレン
- アンドレア・ライズボロー
- ノンソー・アノジー
- フィル・デイヴィス
- ジョン・ハート
1964年イギリス、ブライトン。街を仕切るマフィアのボス、カイトが対抗するコリオニの手下ヘイルに殺され、カイトの手下ピンキーはその犯人を目撃する。ピンキーは仲間とともにその犯人ヘイルを追うが、桟橋で観光客向けの写真屋に写真を撮られてしまう…
グレアム・グリーンの原作を時代を変えて映画化した作品。ギャング映画でありながら人間の内面を描く描写が秀逸。
映画の始まりは紛れもないギャング映画だ。ボスを殺された手下達がその復讐のため犯人を追い詰める。その作戦はうまく行ったが、偶然そこにいた昼休み中のウェイトレスと一緒のところを写真に撮られてしまう。となると、写真を回収し、ウェイトレスも口封じしなければならないということになるが、血気盛んな若者ピンキーはそのウェイトレスのローズを誘惑し、口を割らないよういい含める。そして、ピンキーは自分がカイトの後釜だと言ってコリオニのところに乗り込む。
その後はピンキーとその仲間とコリオリの一味にローズを加えた関係で話が展開し、そこに殺されたヘイルの愛人であり、ローズの雇い主でもあるアイーダが絡んでくるという展開。いつの間にかアイーダが物語を動かす存在へと変化し、映画の中心はピンキーとローズの関係へと移って行く。その辺りが独特で面白い。
この映画で一番面白いのはピンキーの心理だ。それもローズに対してどのような気持ちを抱いているのかという部分。外見的にはローズを利用するために彼女を利用し、ローズはそれにまんまと引っかかってピンキーに惚れてしまっているように見える。しかし実はピンキーもローズを愛してしまっているのではないか。ピンキーは何回も何回も「誰も信用しない」という言葉を発する。それが彼がローズを信用していないことの証左となるわけだ。
だが、実は彼がこの言葉を何度も発するのは、何かの理由があってこの教訓を自分の頭に叩き込むためなのではないか。むしろ誰かを信用してしまいそうになったときにこの言葉を発することで自分の生き様を定めようとしているのではないだろうか。彼が「信用しない」というのは彼がその相手を信用しかかっていることの証なのではないか。
この映画は観客がそんな風にピンキーの心理について色々考えるように作られている。その中でアイーダの存在というのが面白い。物語を追っていくと彼女が何故いるのかよくわからないのだけれど、彼女が事件をまぜっかえし、ピンキーとローズの関係に波風を立てることで物語は複雑化し、わかりにくく(あえて言えば面白くなく)なっていく。しかし、そしてそれによってピンキーの心理の変化が浮き彫りにされ、心理ドラマとしての動きが明確になっていくのだ。
この映画を「面白い」といえるかどうかは難しいところかもしれない。しかし、いろいろと想像を働かせ、考えをめぐらせながら物語を追っていく体験は好奇心を刺激する。60年代のイギリスの雰囲気、主人公の古風な男前の雰囲気もあいまってあくは強いが独特の魅力のある映画に仕上がっていると思う。