夫たち、妻たち
2003/2/26
Husbands and Wives
1992年,アメリカ,108分
- 監督
- ウディ・アレン
- 脚本
- ウディ・アレン
- 撮影
- カルロ・ディ・パルマ
- 音楽
- 出演
- ウディ・アレン
- ミア・ファロー
- ジュディ・デイヴィス
- ジュリエット・ルイス
- リーアム・ニーソン
- シドニー・ポラック
大学で文学を教える小説家の夫ゲイブと、デザイン所の出版社に勤めるキャリアウーマンの妻ジュディ。ふたりは親友であるジャックとサリーの夫婦と夕食に出かけようと家に招いた。そして出かけようとするその時、サリーが「離婚することに決めた」といたって冷静に言い出した。それを聞いてなぜかパニックに陥るジュディ、これによってゲイブとジュディの関係も徐々に変化していき…
ウディ・アレンの劇の一方の典型である「生活型」のドラマ。なんでもないような日常を描くことで逆に見ている人たちの日常を破ろうとする。
ウディ・アレンの映画は常に変化しているようでいながら、実は変化していないのかもしれない。ひとつの傾向として「セレブの生活」みたいな豪華スター競演! という映画がある一方で、この映画のような地味な映画もある。初期にはいわゆるコメディを撮っていたし、最近は『おいしい生活』みたいなポップなドラマも撮ったりする。表面的にそれらは違っているようだけれど、根本的なスタイルはすべて同じだ。
特にウディ・アレンが画面に登場する場合、だけでその映画の雰囲気やスタイルは決まってしまう。そして彼自身は常にインテリで女好きで少々弱気なキャラクターを背負う。この映画もそう。
また、アレン自信が出ていると出ていないとに限らず、そこに登場する人々はどこかスノビッシュで浮世離れしている。大学教授とか小説家とか、いわゆるインテリと呼ばれる人も多く登場する。
そしてさらに、出てくる人々が浮世ばなれしているにもかかわらず、描かれるのは非常に生活じみたことなのだ。スクリーンから登場人物が飛び出しすというファンタジックな物語であるはずの『カイロの紫のバラ』でも、スクリーンの中にとどまった人たちの行動は妙に生活じみている。
登場する人の種類や立場はあまり現実的ではないにもかかわらず、映画自体は非常に生活じみている。それはひとつは描かれているテーマがその人の階級や、知識の有無や、実在しているかどうかに係わらないものだからだろう。その一番大きなものは「恋」であるわけだけれど、「恋」を中心とした男女(を中心とした)関係をロマンティシズムではなく、生活の中に存在しているものとして描く。それがウディ・アレンのひとつのスタイルであるといえるだろう。 そしてまた、映画の手法も生活じみている。それは大河ドラマのように圧倒的なものを作るのではなく、非常にこまごまとして物を作るということだ。映像の撮り方も小さく小さく作る。そこにいる人、街の中の風景、部屋の中での会話、手持ちカメラで小さく動く。そのようなある意味ではホーム・ビデオに近いような映画の作り方も観客が自分自身に近いと感じる要因になるだろう。
私はどうもウディ・アレンの手持ちカメラというのが苦手で、なんだか居心地が悪くなる。擬似ドキュメンタリーというか、インタビューのような形でセリフを言わせるのも鼻につく。私にとっては描かれているテーマのほうは自分に近いものに感じられたが、(この映画では)手法のほうはどうもよそよそしいものに感じられてしまった。
ウディ・アレンの映画はどうしても好みが分かれてしまうので仕方ないことですね。私はどうもあまり好きではないようです(気づくのが遅い…)。