続・名もなく貧しく美しく 父と子
2003/4/18
1967年,日本,100分
- 監督
- 松山善三
- 脚本
- 松山善三
- 撮影
- 岡崎宏三
- 音楽
- 船村徹
- 出演
- 小林桂樹
- 北大路欣也
- 原泉
- 加東大介
- 大空真弓
- 乙羽信子
- 内藤洋子
- 田村亮
- 高峰秀子
子供の頃に聾者の母をなくし、聾唖者の父親に育てられた一郎は大学をいい成績で出たにもかかわらず、いい仕事につけず、くさっていた。ガールフレンドも父親が聾唖者であることを知るとしり込みし、離れていってしまう。一郎はやり場のない怒りをボクシングにぶつけようとするが、プロになるのは年齢的に無理だった…
高峰秀子主演の『名もなく貧しく美しく』の続編。息子の一郎が大きくなってからの物語という体裁をとる。高峰秀子がいないこともあって、続きというよりはほとんど違う話。でもこてこてのメロドラマであるのは一緒。
1作目にもまして聾唖者の問題がクローズアップされる。前作では聾唖者がいかに生きるのかということに主眼が置かれ、戦争という問題もあって、こてこてではあるけれど、かなり見ごたえのあるドラマに仕上がっていた。誰もが生きるのが大変な時代に、更なるハンディキャップをしょった人たちがいかに生きるのかそれが、人々の心を打った。
しかし、今回は社会も変わり、問題の中心は差別となった。障害者に対するいわれのない差別、そのために人に頭を下げていかなければならない苦しさ、そのようなことが主題となり、遺伝学まで持ち出して聾唖者を擁護しようとする。しかし、問題なのはなかなか焦点が定まらず、どのように聾唖者を擁護しようとするのかが明らかにならないところ。差別とは意識しないところに潜んでいるものなのだという主張だと好意的に考えることもできるが、むしろ作り手の側が完全に差別意識をぬぐい切れていない状況が表われてきてしまっているように思える。
「聾唖者だったらこんな行動をとるだろう」という判断にすでに偏見が入り込んでいる気がする。おそらく差別に対する意識を喚起しようという目的が映画を作る意図の一つとしてあっただろうから、その偏見は完全に拭わなければならなかったような気がする。
そのようなメッセージの点の手ぬるさに見られるように、この映画は全体的に手ぬるい。音の使い方などで激しさを演出しようとしているのはわかるが、人物の組み立て方が甘いので、どうにも感情移入することができない。前作ではちょっと舞台装置がそろいすぎていた感はあるものの、人物の組み立て方はしっかりしていて、観客をスッと映画に誘導していた。この映画ではそれがなく、なんとも宙ぶらりんな形で映画を見ることになってしまった。
面白いなと思ったのは、あまりに過剰な音の使い方。風の音や電車の音といったノイズがかなり大きな音で流される。それも、耳が聞こえない登場人物のアップなどのときに、それが顕著に現れる。これはおそらく観客に、「彼らはこの音が聞こえないんだ」という事実を繰り返し喚起させるための手法で、その音がぱっとやんでしまったときのことを思うと、ほんの少しだが耳が聞こえないということがわかるような気がする、そんな演出。ここはなかなか面白と思った。
シリーズ
第1作 『名もなく貧しく美しく』
第2作 『続・名もなく貧しく美しく 父と子』