ロード・トゥ・パーディション
2003/5/22
Road to Perdition
2002年,アメリカ,119分
- 監督
- サム・メンデス
- 原作
- マックス・アラン・コリンズ
- リチャード・ピアース・レイナー
- 脚本
- デヴィッド・セルフ
- 撮影
- コンラッド・L・ホール
- 音楽
- トーマス・ニューマン
- 出演
- トム・ハンクス
- ポール・ニューマン
- ジュード・ロウ
- タイラー・ホークリン
- ダニエル・クレイグ
- ジェニファー・ジェイソン・リー
1931年アメリカ、少年がマイケル(マイク)・サリヴァンについて語る。マイケル・サリヴァンは町を牛耳るアイルランド系のマフィアのボス、ジョン・ルーニーの下で右腕として働いていた男、語り手はその息子マイケル。
マイケルはルーニーの家で開かれた葬式で目撃したいざこざや、毎夜銃を手に出かける父親を見て、その仕事にうすうす感ずいていた。ある夜、マイケルは決心して、仕事に出かける父親の車の後部座席の下に隠れ、父とルーニーの息子コナーの「仕事」を目撃してしまう。
サム・メンデスが『アメリカン・ビューティー』に続きアカデミー狙いとも取れる作品を監督。何とか撮影賞を受賞したものの、映画の内容は凡庸そのもの。
アカデミー賞っぽいといえば、こういう感じのちょっと感動がはいって、あまり現代的ではなく、映像がきれいで、極めつけはトム・ハンクスが出ている映画ということになりますが、それでもつまらないものはつまらない。
こういう映画の問題点は、物語に入り込めるかどうかで面白いかどうかが決定的に決まってしまうということ。私はこの映画のどこに入り込んでいいのかまったくわからず、ただの傍観者として漫然と続いていくメリハリのない物語を眺めていただけで、それではこの映画が描いていると思われる親子の関係とか、時代の雰囲気とか、そういったものに酔えるわけもなく、ただただ退屈なだけだったわけです。
なぜそうなってしまったかと言えば、おそらくキャラクターの作り方にかなり無理がある。主人公の少年が一番入り込みやすいキャラクターなのだろうけれど、アンナ父親にどうしてあそこまで盲従できるのかがわからないし、あれを古きよき時代の父子関係だといってしまうのも、なんか無理やり作られたノスタルジーのようで嫌だ。子供というのは常にもっと反抗心を持っていて、親のことを確かに愛しはすれど、あんなバカ正直に態度に示したりはしないと思う。トム・ハンクス演じるマイクだって、正義感のような振りをしているけれど、結局はマフィアの片棒を担ぐ卑劣漢なわけで、さらに卑劣な男に家族を殺されたからといって、復讐に燃えるなんて物語のどこに感動を見つけ出せと言うのだという憤りすら覚えます。ジュード・ロウもちょっと魅力的なキャラクターかと最初は思わせたけれど、結局のところただの変態野郎だった。ポール・ニューマン演じるジョン・ルーニーが一番ましではあったけれど、それは老いさらばえて角が丸くなったというだけの話で、さらに入り込むには出番が少なすぎる。
サリヴァン親子の関係とルーニー親子の関係を見るにつけ、この映画のテーマは「地は水よりも濃い」、肉親のためなら他人を裏切っても殺してもかまいはしないというアメリカ的といっていいのか、何といっていいのか、なんとも居心地の悪い世界の話。私なんかはむしろ日本のやくざ(映画)の仁義のほうがまだ共感を持ってみることができます。
考えてみると、アメリカという国はこの映画のような「家族主義」が非常に強い映画なのだろうという気がします。その印象を作る中心はあくまでハリウッド映画なわけですが、他にも家族と農場で暮らすためにアメリカに帰ったランディ・バースとか、「家族」を絶対的に大事なものと考える傾向にあるような気がします。現実にはそうではないのかもしれないけれど、幻想というか頭の中ではというか願望としてはそういうものがアメリカ人にこびりついているのではないかという気がします。
日本人にしてみれば家族というのはもっと空気のようなもの、切っても切れない親子の絆みたいな、言葉や意識によって結びつけるものというよりはいやおうなくつながってしまっているものという印象があるような気がするのですが、そう思うのは私だけでしょうか?
ともかく、そう思った私はこの映画にまったく共感することも出来ず、面白いものも見つけ出せず、「トム・ハンクス太ったな」とか「ずっと眉間に皺を寄せてる演技がしつこいな」とか「シカゴの街がCGっぽいな」とかいうことばかりを考えていました。ちょっと音響がいいかなと最初のうちは思った(自動車のエンジンが切れると同時に雨音がわっと襲ってくるところなど)けど、途中から観客の気持ちを無理やり盛り上げようとする音楽にかき消されて、台無しになってしまいました。無音のマシンガンのシーンなどは愚の骨頂、数々のマフィア映画で使い古された手をまた使い、しかも映画全体の音響のコンセプトからどうにもずれている。カメラだけは淡々と誠実な映像を切り取り続けて好感が持てましたが、聞いてみればアカデミー賞ということで、アカデミー賞を撮るほどの撮影か? という疑問はうかびます。