ラスト・プレゼント
2003/7/11
Last Present
2001年,韓国,112分
- 監督
- オ・ギファン
- 脚本
- パク・ジュンウ
- オ・ギファン
- 撮影
- イ・ソッキョン
- 音楽
- チョ・ソンウ
- 出演
- イ・ジョンジェ
- イ・ヨンエ
- クォン・ヘヒョ
- イ・ムヒョン
- コン・ヒョンジン
相方のチョルステレビ番組で前説をする売れない若手芸人のヨンギ、小さなベビー用品の店をやっているジョンヨンとの間の子供はなくなってしまい、自分がいつまでたっても売れないことも気にかけて、素直に家に帰ることができない。そんなコンビの前にエージェントと名乗る怪しげな二人組みが現れ、金を用意すれば番組出演をとってくるともちかけるが、ヨンギは断る。そしてその二人組はジョンヨンのみ店に行くが、ジョンヨンは二人組が詐欺師であることに気づき、店から追い出すが、そのとき突然倒れてしまった…
韓国でヒットしたメロメロのラブ・ストーリー。完全に感動の夫婦愛の物語という感じだが、物語の大げささとは裏腹に二人の心理の機微がしっかりと描かれているところは好感が持てる。
売れないお笑い芸人と、難病で死期が間近の奥さんの物語りなんていう、予告やあらすじを見ると、「ぜってーおもしろくねえぞこの映画」と思ってみたけれど、見進めるにつれて、「これは意外と面白いじゃないか」と思い始め、最後にはなんだか感動してしまった。会場のあちらこちらではすすり泣く声が聞こえ、見終わったあとでは『アイ・アム・サム』を思い出させるような「泣き」映画という印象が残ったのでした。
アメリカ型の「愛してるよ」「私もよ」的な直情型のラブ・ストーリーと比べるて見ると、やはり韓国は日本と文化圏が近いんだと感じる。感情をストレートに言葉にするのではなく、微妙な機微として表現するというのは東アジア的な特徴なのだろうか? 日本でも夫婦愛というものが描かれようとするとき、こんなひっそりとした表には出てこない感情の機微が描かれることが多い。たとえば篠崎誠監督の『おかえり』なんかはそれが成功した例だし、北野武監督の『HANABI』なんかもそんな雰囲気を持った映画だ。
そのようにして日本映画と比べてみると、逆にこの映画の大げささとか大雑把さというものも見えてくる。それは先ずなんといっても全体的な設定をはじめとしたありえなさだ。いろいろネタばれになってしまうことも多いので、「こりゃありえねーだろ」といいたい気持ちを抑えつつ、最も根本的な奥さんの病気について。何といっても奥さんがもうすぐ死ぬという病気の割にはあまりに見た目が元気そうで、医者も言っていたようにいくら隠そうとしたって同じ屋根の下にいて気づかないはずがない。いくらメロドラマとはいえ、設定の部分からこう大雑把だとどうにもリアリティにかけてしまうので、一種の御伽噺として受け入れる以外にはどうにも物語を受け容れられないということになってしまう。
しかし、この映画はそんな御伽噺に観客を強引に引きずり込んでいく。それに最も大きな役割を果たしていると思われるのが音楽だ。韓国映画は全般的に音楽が大げさだという印象があるが、この映画はそれにいっそう輪をかけて、大げさだ。ここが盛り上がり!というシーンではこれ見よがしにストリングスを響かせて、「感動しろ!感動しろ!」とパワーを送る。普通の映画ならこのあまりの大げさぶりは冷笑をも誘うほどのものかもしれないが、すべてがおおげさにできているこの映画の場合それほど違和感がなくなってしまうから恐ろしい。
そのようにしてすべてを大げさにして、観客を圧倒して、強引に映画に引きずり込む。観客はいわば人質として映画の中に取り込まれ、映画の登場人物の感情のうねりをダイレクトに受け止める。それは観客の感情をも動かして、結果的に感動させずに入られないのだ。
見終わってちょっと冷静になれば「何であんなことで感動したんだ?」と思うわけだけれど、見ている間はその感情に引っ張りまわされて感動してしまう。韓国映画にはメロドラマが多く、ヒットすることも多い。この映画はそんな韓国のメロドラマが培ってきた観客を感動せせる技術を見事に駆使して撮られた映画なんじゃないかと思う。
韓国映画のメロドラマ技術の完成度はかなりすごいのですね。