過去のない男
2003/10/4
Mies Vailla Menneisyytta
2002年,フィンランド=ドイツ=フランス,97分
- 監督
- アキ・カウリスマキ
- 脚本
- アキ・カウリスマキ
- 撮影
- ティモ・サルミネン
- 出演
- マルック・ペルトラ
- カティ・オウティネン
- アンニッキ・タハティ
- ユハニ・ニユミラ
- カイヤ・パリカネン
- サカリ・クオスマネン
電車でとある街に着いた男、公園でふと居眠りしてしまった男は暴漢に襲われ瀕死の重症を折ってしまう。病院でも見放された彼だが、不意に目覚め病院を出て行った。次にとある川辺で目を覚ましたとき、男は過去の記憶を一切失っていた。親切な家族に助けられながら何とか生きて行く彼は、食事をもらいに行った救世軍のキャンプで一人の女性に出会った…
カルトの巨匠カウリスマキがカルトを脱皮し、本当の名作を作った。作風は今までと変わりないが、力強く正統派の物語が胸を打つ。カンヌでグランプリと女優賞をダブル受賞した。
カウリスマキの作品といえば「オフビート」という代名詞が必ず付く。この作品もその例に漏れず、基本的には淡々として、セリフは少なく、登場人物は表情に乏しく、感情の起伏が少ないように見える。
しかし、この作品は明らかに他の作品とは違う。いや、基本的には同じだけれど、その見せ方が違う。カウリスマキの作品はオフビートでありながら人を元気にさせるものがあった。ものすごく悲惨な物語であるようでいて、そこには常に希望があった。しかし、その希望の光はオフビートな映画の雰囲気のそこに沈められ、なかなか表には浮き上がってこなかった。それが『愛しのタチアナ』かあるいは『浮き雲』のあたりから徐々に表面に出てくる。それは何か「照れ」がなくなってきたというか、本当に言いたいことを素直に言えるようになったというか、そういうものであるような気がする。それがこの作品ではかなり明確に現われ、完全に「いい話」になる。
それがもたらすのはまず映画がわかりやすくなるということだ。これまでのカウリスマキ映画は面白いけれど、「結局何なんだ」と言われれば言葉に詰まってしまうようなそういう映画だった。それでいいと言えばいいのだけれど、実はそんな映画でも彼なりに言いたいことがあったとも思えるのだ。そんな「言いたいこと」を言いたいままに言う。これまで出来なかったそんなストレートな表現をようやくできるようになったのがこの映画なのかもしれないと思う。
その重要な要因となっているのが「記憶喪失」という要素である。カウリスマキの映画は日常的なことを題材にしてきた節がある(『レニングラード・カウボーイズ』を除く)。しかしこの作品では「記憶喪失」という非日常的な出来事を主題に持ってきた。それによって、物語は自然に転がり、観客は物語に入り込みやすくなる。カウリスマキとしてはもちろんそれを日常的なこととして描くわけだけれど、そこは「記憶喪失」、どうしたって謎が生まれ、その謎をめぐって自然とストーリが編まれていくことになるわけだ。
なので、決してカウリスマキのファンというわけではなくとも、この映画は楽しむことが出来る。
ということで、この映画が賞なんかを取りやすくなった訳だけれども、カウリスマキがすごいのはそのような「わかりやすい」映画にしつつも、カウリスマキらしさ、ファンが求めるカウリスマキ的世界からは決して逸脱しないという点だ。それは一瞬の構図の美しさ、無言の2人あるいは3人の人間のしぐさから語られる言葉以上の言葉、重く垂れ込めたそれの色と裏腹に鮮やかな色彩、タバコ、犬、マッティ・ペロンパーの写真がバーに飾られているというにくい演出もある(註:マッティ・ペロンパーはカウリスマキ映画に欠くことのできない俳優だったが、1995年に44歳の若さでなくなってしまった)。
駅で向き合う二人の後ろを足早に通り過ぎる通行人、尋常じゃなく水が漏れる缶を急ぐでもなく運んでいく男、そんな一瞬一瞬に映画が息づき、美しさが宿る。