アンドリューNDR114
2003/10/26
The Bicentennial Man
1999年,アメリカ,131分
- 監督
- クリス・コロンバス
- 原作
- アイザック・アシモフ
- 脚本
- ニコラス・カザン
- 撮影
- フィル・メヒュー
- 音楽
- ジェームズ・ホーナー
- 出演
- ロビン・ウィリアムズ
- エンベス・デイヴィッツ
- サム・ニール
- オリヴァー・プラット
マーティン家はロボティクス社から発売された家事用ロボットNDR114号を購入し、アンドリューと名付けた。アンドリューにミスとリトルミスと呼ばれるふたりの娘は最初彼を奴隷のように扱うが、父親のリチャードは人間のように扱うことを要求する。ある日、浜辺でリトルミスの大事な人形を壊してしまったアンドリューは償いのため自分で木彫りの人形を作った。そのころからアンドリューは人間的な面を持つようになる…
ロボット文学の大家アイザック・アシモフの原作によるファミリー向けのSF映画。ロビン・ウィリアムスが硬質のメイクに身を包みロボットを熱演。監督は『ハリー・ポッター』を監督することになるクリス・コロンバス。
ロボットが心を持つようになるという映画といえば『A.I.』である。しかし、この映画のほうが『A.I.』より前に作られている。あるいは日本のアニメ『メトロポリス』である。この『メトロポリス』の原作は手塚治虫、この映画の原作はアイザック・アシモフ。私にとってはふたりともロボットについての想像力を作り出した巨匠である。
アイザック・アシモフといえば「ロボット3原則」を考え出した(あるいは小説に援用した)張本人であり、数々のロボット小説を書いてきた。この映画の原作もそのような小説のひとつで、“ロボティックス社”は彼のロボット小説に必ず登場するといっていいロボット製作会社である。
アシモフの小説ではロボットは3原則に縛られて常に葛藤を抱えている。映画でも一度だけそのような葛藤が出てくるが、あまりクロースアップはされない。原作との兼ね合いからするとそのあたりに不満が出てくるが、映画としてはSFファンよりもファミリー向けという形なので、仕方ないかもしれない。
もう1つ不満といえば、リトルミスの孫(ポーシャ)が一人二役とはいえ似すぎ。顔が似ているのはいいけれど、もう少し演じ分けてもいいんじゃないかという気がしてしまう。文字で読んでいるといろいろと想像力が広がって、自分の中で微妙な違いが作り出されていくけれど、映像で全く同じに演じられてしまうとなんだか興ざめである。
などなど原作と比べるとやはり不満がいろいろと噴出するが、映画としては悪くはない。これから来るであろうロボット時代(それは多分この映画の設定である2005年ではなく、数十年後の話だろうけれど)に備えて(?)、ロボットと人間の関係を考えるのにはいい。ロボットが意思を持つようになったときに「人間になりたい」と本当に思うかどうかは別にして、人間としてロボットとどう対処していけばいいのかという問題は、歴史上繰り返されてきた差別問題の繰り返しになりうるかもしれないというのは、ロボットが描かれるときに常に問題として持ち上がってくる問題である(が、この映画ではそのあたりの描き方も甘い)。
アンドリューに対してリトルミスとは対照的な態度をとるミスをもう少しクロースアップして描けば、ファミリー向けにしても深みのある映画になったかもしれない。