ゴスフォード・パーク
2004/2/21
Gosford Park
2001年,アメリカ,137分
- 監督
- ロバート・アルトマン
- 原案
- ロバート・アルトマン
- ボブ・バラバン
- 脚本
- ジュリアン・フェロウズ
- 撮影
- アンドリュー・ダン
- 音楽
- パトリック・ドイル
- 出演
- マギー・スミス
- マイケル・ガンボン
- クリスティン・スコット=トーマス
- ケリー・マクドナルド
- エミリー・ワトソン
- ボブ・バラバン
- ジェームズ・ウィルビー
- クライヴ・オーウェン
- ヘレン・ミレン
- アイリーン・アトキンス
- アラン・ベイツ
- リチャード・E・グラント
トレンサム伯爵夫人のメイド・メアリーは主人とともにマッコードル家のカントリー・ハウス「ゴスフォード・パーク」に向かう。そこにはマッコードル家の知人たちが集まり、優雅に食事を楽しみ、狩猟にいき、マッコードル家の親戚でありハリウッド・スターであるアイボア・ノヴェロの歌声に耳を傾けたりしていた。一方下の階にはメイドと付き人たちのまったく別の世界があり、そこでは主人たちのゴシップが飛び交ってた。
ゴスフォード・パークでは各人の思惑がうごめき、何か危険なことが置きそうな気配に満ちていた…
ロバート・アルトマンがイギリスの古典的なミステリーの雰囲気を全面に漂わせて撮り上げたハイセンスなサスペンス。複雑な構造をとっているが、案外すっきりと楽しむことができる。
ロバート・アルトマンはなんだかとらえどころのない監督だという印象が私にはある。古くは『M★A★S★H』、90年代以降は『プレタポルテ』『ショート・カッツ』、最近では『Dr.Tと女たち』である。ジャンルもバラバラ、スタイルもバラバラに見える。
共通するのは、シニカルな笑いと工夫を凝らしたプロットだろうか。全ての作品が基本的にコメディのタッチをとっていて、観客はニヤリと笑わせられることが何度かある。が、それを彼の特徴といってしまっていいとも思えない。凝ったプロット、というのも、時には(この作品のように)登場人物を増やしてみたり、時には難しい謎解きをかけてみたり、その方法はそれぞれの作品で大きく違ってくる。
しかし、どの映画を観てもなんとなく「アルトマンらしい」という印象もある。それはいったい何なのかと思う。とりあえず、「軽妙な」という形容詞が当てはまりそうな気がするが、この『ゴスフォード・パーク』は舞台を1930年代のイギリス、しかも貴族社会に設定したせいもあってか、少々重厚な印象を伴う。それでも映画全体が重苦しくなるというわけではないので、「軽妙さ」から完全に外れるというわけではないが、何かが違うという気もしてしまう。
アルトマンがアルトマンであるのは、常に「アルトマンらしさ」という漠然とした印象から少しずれたところに作品を構えるところにあるのかもしれない。一人の監督がひとつのスタイルを後生大事に守るというのではなく、少しずつ自分の居場所をずらしていく。そのような、それこそ「軽妙な」映画作りのスタイルこそがアルトマンらしさなのだと思う。
だから、アルトマンの映画をいくら見ても、その中にアルトマンの独特のスタイルを見出すことなどできないとまで思ったりする。
新しい映画を撮るたびに「アルトマンらしからぬ」という感想がどこかに出てきて、「アルトマンは別に好きじゃないけどこの作品は好き」という感想がどの作品でもみられることこそがアルトマンらしいところなのだと思う。
だからアルトマンの映画を「アルトマンだから」とか「アルトマンなのに」とか考えながら見るのは、基本的に意味がない。新しい作品ができるたびに「今度は何をするのかな」と楽しみにしながら観る。それがアルトマンの正しい見方なのだと思う。
この『ゴスフォード・パーク』もそんな気持ちで観てみると、案外面白い。30人もの登場人物が絡み合いながら、しかし主となるプロットは以外にシンプルなのだ。その上、どの登場人物もそれぞれにキャラクターを持っていてないがしろにされていない。名前覚えるのは少々難儀だが、別に全員の名前を覚えなくてもプロットは追っていけるようにできているから、記憶力のよさが試されているわけではない。これは多分、繰り返し見てみても、あちこちに発見がある映画のような気がする。登場人物のそれぞれに物語があり、最後にはそのそれぞれに「なるほど」という落ちが付くようにできている。一度目では、主プロットに誰が関係してくるのかを追うのに一生懸命で、そういった細かな物語を味わうことができない。結末を知った上で、細かな物語に目を向けると、そこに「アルトマンらしい」面白さがたくさん潜んでいるような気がした。