鉄砲犬
2004/3/21
1965年,日本,85分
- 監督
- 村野鉄太郎
- 脚本
- 藤本義一
- 撮影
- 小林節雄
- 音楽
- 菊池俊輔
- 出演
- 田宮二郎
- 天知茂
- 山下洵一郎
- 小沢昭一
- 姿美千子
- 坂本スミ子
博打で一文無しになってしまったピストルの名手・鴨居は賭場を出たところで男が撃たれているのを助ける。そしてその男を自分の宿に連れて行き手当てしたところ、大阪にいる母親に金を届けてくれと頼まれた。鴨居はその金を持って大阪へ行くが、そこで入った豚汁屋でピストルの入ったボストンバッグを置き引きされてしまう…
田宮二郎主演での「犬」シリーズの第5作。非常にテンポのよいモダンなサスペンスで、なんといっても鴨井大介というキャラクターが非常にいい。
田宮二郎は格好いい、それはもういうまでもないことだと私は思う。そして、『悪名』シリーズで、勝新太郎と対比されることでよくわかるように、その格好よさというのは非常にモダンな格好よさなのである。この「犬」シリーズはそんなモダンな格好よさを奈何なく発揮すべく、田宮二郎にピストルの名手・鴨井大介というキャラクターをあてがった。これは007(ゼロ・マル・セブン)をモデルとして、それを大阪のやくざの世界に置き換えたというかなり無理のある設定名わけだが、これがまさに当たり役。田宮二郎の魅力を引き出すに、これ以上のものはないという感じなのである。
なので、この映画は基本的には田宮二郎のスター映画である。西部劇のようなピストルさばき、軽やかな身のこなし、悪びれない態度に屈託のない笑顔、そして知恵者らしい軽妙な振る舞い。どれをとっても、どこを切っても田宮二郎の魅力満載という映画である。
そしてもちろんそんな田宮二郎を引き立てるべく、周りもしっかりと固める。天知茂と小沢昭一は相変わらず名脇役ぶりを発揮するのは当たり前として、この映画でなかなか面白いと思ったのは坂本スミ子である。映画の序盤に旅館の仲居として登場し、ただそれだけかと思ったら、その後もプロットにかなり深くかかわる感じで登場する。それがいいアクセントになっているし、坂本スミ子という役者もかなり稀有なキャラクターで映画にいいスパイスになっている。この坂本スミ子はこの「犬」シリーズでは欠かせない脇役で、芸者とかストリッパーとかいう役どころでかなりいい味を出している。この人はもともとは歌手らしいが、女優としても様々な映画に脇役として出演し、今でも活躍している。
という田宮二郎と脇役たちのキャラクターの面白さでこの映画はまず見ることができる。そしてそれで十分であるともいえる。しかし、今という視点から見てみると、この映画は非常に「モダン」である。モダニズムの絶頂というか、革新的なものであったモダニズムが普通の映画にも定着したことの証明というか、とにかく「モダン」であることが当たり前であるような映画なのだ。
それは、この映画の色と音にある。色という点でいえば、原色を多用しているので、画面のコントラストが強く、インパクトがある。音という点では、とにかくジャズがかかり続け、ほとんど途切れることがないという印象である。この色と音の組み合わせによって出来上がるのは、「物語」ではなく「映像」である。もちろん物語を語るために映画があるわけだ、それと同時にひとつのリズムに乗った映像を提示するものとして映画がある。もちろん物語と関係性を保ってはいるけれど、必ずしも物語を語る上で不可欠なものというわけではなく、物語に上乗せする形でひとつのスタイルを構築する。そのスタイルが非常に「モダン」なのだ。
それは「モダン」であることが物語を邪魔しない映画である。例えば鈴木清順の映画ようにまず「モダン!」という強い印象があって、それから物語を追うという映画では、物語は映画を味わうための方向指示器のごときものになっている。が、この映画はまずプログラム・ピクチャアとして、観客が入り込みやすい物語があって、そこに「モダン」が付け加えられている。批評家的な視点からすると中途半端なのかもしれないが、単純に楽しむだけならば、こういう映画のほうが楽しめるし、時代の空気感というものを体感的に感じることができるような気がする。
2度目
ハジキを盗まれていた間にそれを使って殺しが起きるというのは前にもあったような話だが、このシリーズに関して言えば、個々の物語のおもしろさというのは作品のおもしろさとは実はあまり関係がない。この作品で最も目を引くのはアクションである。田宮二郎がピストルを自由に操り、いろいろな小道具を使って相手の居場所を探りながら、一発でしとめて行くその痛快さ、それこそがこの作品のまさに見所。素手での乱闘シーンにも見せるものがあるがやはり『鉄砲犬』というだけあってピストルを使ったアクションシーンはまさに見事である。
特にこの作品では『ごろつき犬』に続いて小林節雄がカメラを握ったことで、質のよい映像が実現して、それがアクションシーンの迫力を増すのに一役勝っている。田宮二郎にはアクション・スターというイメージはあまりないが、アクションもこなす田宮二郎の格好よさを存分に味わいたいのならこの作品はまさにうってつけといえるだろう。
ただ、『ごろつき犬』で抜群だった天知茂との絡みは少々トーンダウンしている。私としては、この部分がこのシリーズの一番の魅力だと思うので、もっと面白みのある掛け合いなんかをふんだんに盛り込んで欲しかったのだが、今回はそれらのシーンのおかしさよりも田宮二郎の格好よさを前面に出した形となったようである。ただ、脇役として登場する小沢昭一がさすがにいい味を出し、田宮二郎と天知茂のコンビの足りない部分を補って面白みを出している。
マドンナ的な存在として登場するのは姿美千代とかなり地味。前作では草笛光子がかなり協力に存在を主張していただけに、鴨井二郎の“スケとハジキ”の“スケ”の部分がかなり薄まってしまった感じだが、毎回必ず登場する坂本スミ子はあいも変わらずいいキャラクターで救われた気分になる。
このシリーズは同じ人が何度も登場し、ヤクザも同じ名前の組が登場するのに、毎回設定が違うというかなり不思議なシリーズである。今回の敵である“一六組”は『ごろつき犬』と同じだが、連続性はないらしく、鴨居もその組のことを知らないし、一六組も鴨井のことを知らない。しかし、一六組の下っ端は前と同じだったようなきもする。坂本スミ子も毎回必ず登場するが、登場人物としては連続していたりしなかったりする。今回はまったく新しい人物として登場しているが、キャラクターは毎回同じ。
このあたりがこのシリーズのB級らしさをかもし出す。いかにも時間をかけずに、いつものメンバーの呼吸でぱっと作ったという感じだ。こうなるともうシナリオなんか要らないんじゃないかという気になるが、それくらいになったほうが、観客もその呼吸にあっというまに馴染めて、すっと楽しむことができる。シリーズものの楽しさというのは、そういった安心感にもあるのだと思う。おもしろいつまらないということとは関係なく安心してみることが出来るということ、それもシリーズものの魅力のひとつではあると思う。 ただ、この作品の次に来る第6作はシリーズで唯一“続”と題された『続鉄砲犬』である。この“続”と題されているあたりに、そろそろマンネリになってきそうな雰囲気が感じられもする。