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マトリックス レボリューションズ

2004/5/1
The Matrix Revolutions
2003年,アメリカ,129分

監督
アンディ・ウォシャウスキー
ラリー・ウォシャウスキー
脚本
アンディ・ウォシャウスキー
ラリー・ウォシャウスキー
撮影
ビル・ポープ
音楽
ドン・デイヴィス
出演
キアヌ・リーヴス
ローレンス・フィッシュバーン
キャリー=アン・モス
ヒューゴ・ウィーヴィング
ジェイダ・ピンケット=スミス
モニカ・ベルッチ
preview
 マシンは大量のセンチネルをザイオンに派遣して人間を滅ぼそうと考える。頼みのネオも昏睡状態に陥って、目覚めない。実はネオは昏睡状態の中、マトリックスと現実の間をさまよっており、それに気づいた預言者がネオを救おうとモーフィアスらをマトリックスに呼び出す。一方現実的な危機が迫るザイオンでは戦闘の準備が着々と進められるが…
 言わずもがなの話題作となったマトリックス・シリーズの第3作にして完結編。果たしてザイオンとマトリックスはどうなるのか。という結末のほうはもうどうでもいい感じもするが、ハリウッドに新たな風を吹かせたアクションのほうはいったいどうなるのか気になるところ。
review
 話のほうは、何のことやらわからない。結局、機械(ソース)vs バグ(スミス)という闘いになってしまい、ネオはそれに手を貸すことで人間の身の保全をお願いするという立場になってしまった。人間から見れば英雄なのだろうけれど、物語という大きな枠から見れば、矮小化されてしまった感じである。
 そして、エージェント・スミスが勝ったらいったい世界はどうなるのか、という疑問も残る。人間はマトリックスすらも奪われて、責め苦を味わうのか?でもそうしたら、機械も立ち行かなくなるから結局のところ同じじゃないのか?などと考える。そして、ソースの方も人間が全部解放されてしまったら存在できなくなってしまうのだから、ある程度の譲歩はしてもそれ以上は譲りようがない。この物語は、この最終章の始まりの時点でそんな閉塞状況に陥っているような気がする。
 だから、結末がどうなろうとサイバースペースから出ることはなく、なんだかなぁ、という感じで、そっちの方にはあまり興味がもてない。サイバースペース自体に興味がないというわけではないが(ウィリアム・ギブソンなんかはとても面白い)、人間の生活にひきつけるひきつけ方が足りないのだと思う。

 ということで、やはり興味を引くのはアクションである。『マトリックス』は香港を中心とするアジアの影響でハリウッドに風穴を開けたわけだが、2作目の『リローデット』はアクションシーンがあまりにアニメチックで(作り物じみているということ)興味をそがれてしまった。CGでなんとなくすごそうに見せているけれど、何とか説得力を持たせようとがんばっている作り物にしか見えなかったのだ。
 それに対してこの3作目では、その説得力を持たせようという努力すら放棄して完全にアニメの世界に飛び込んだ。そもそも舞台がマトリックスという仮想世界であるのだから、どこまでアニメ的になっても問題はないのである。だから、もうネオは空も飛び空中で何でもやって、ものすごいパワーを持っている。クライマックスのエージェント・スミスとの対決シーンはまさに「ドラゴンボール」の世界。「ドラゴンボール」も実写で映画化されるらしいが、まさにそれを先取りした究極的にアニメなアクションなのだ。
 これは感心するよりは笑うしかないという感じだが、この「笑う」というのは、過剰さの証明であり、その「過剰さ」こそ私がマトリックスの最大の魅力だと考えている部分だから、私にとってはこの第3作は第1作に似た魅力を持つ映画ということになった。

 2作目では疑問が山積となった哲学的な部分(「マトリックス」とは何かという問題)に言及されることもほとんどなくなり、「マトリックス」の世界観に何かを期待していた人にはまったくもって興ざめの内容となっただろうとは推測できるが、どんなに追求しても果てしなくこんがらがるだけのそんな問題を追求しなくてよかったのだと思う。最後は笑わせてうやむやにする。それも映画のひとつのやり方だと思う。
 これに似たシリーズものとして『デッド・オア・アライブ』を思い出した。あれも第1作がすごく面白くて、第2作はなんだか中だるみで、第3作目はやりすぎ感のある笑いを振りまいて完結した。
 この展開がB級アクション映画からスタートしたヒット・シリーズの宿命的運命なんだろうか?
Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ2001年以降

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