民族の祭典
2004/8/28
Fest der Volker - Olympia teil 1
1938年,ドイツ,138分
- 監督
- レニ・リーフェンシュタール
- 撮影
- ウィディ・ジールケ
- ハンス・エルトル
- ワルター・フレンツ
- グツィ・ランチェナー
- クルト・ノイバート
- ハンス・ミシャイブ
- 音楽
- ヘルベルト・ヴィント
1936年、ナチ政権下で行われた第11回ベルリン・オリンピック、その様子を記録した公式映画『オリンピア』の第1部。聖火リレーから開会式までの様子と陸上競技の様子を記録した。
ナチスのプロパガンダ映画として有名だが、製作者であるレニ・リーフェンシュタール自身はそのことを強く意識はせず、ただ人間の美しさを追及しただけだという。
プロパガンダという言葉から、ドイツ選手の活躍がこれでもかとばかりに描かれるのかと思ったが、決してそういうわけではない。むしろ、記録映画として忠実に各協議の経過や結果を記録していく。その中で特に活躍が目覚しいのはアメリカの選手だ。このベルリン大会の注目といえば“黒い弾丸”オーエンスであり、映画でも彼の活躍はかなり中心的に描かれていると言ってもよい。オーエンス以外でも短距離や跳躍はアメリカの独壇場、表彰台独占も含めて、かなりの種目で優勝する。そんなアメリカに跳躍種目で対抗するのが日本である。三段跳びでは世界記録で優勝、走り高跳び、棒高跳びではアメリカと接戦を繰り広げる。特に棒高跳びは競技が5時間以上に及び、アメリカの3選手と日本の2選手が待っているあいだは毛布に包まりながら死闘を繰り広げる。実はこのシーン、競技終了前に日没になってしまって撮影が出来ず、後日再現してもらったものだという。それでも、かなり緊迫感のあるシーンが撮れているとは思う。
後半にはドイツ選手も活躍する。しかしリレーでバトンを落としてしまったり、決して特別な存在としては描かれていない。プロパガンダという点では、観戦するヒトラーと、ドイツ人以外の選手もナチス式の敬礼をするという点くらいではないかと思う。ドイツ選手があまり活躍しないので、ヒトラーはいらいらしたり、立ち上がって興奮している姿もあって、非常に人間的な感じを受けるが、それも巧妙なプロパガンダだろうか。
とにかく、このベルリン大会は当時すでに戦争が始まっていたにもかかわらず、平和的な雰囲気の中、敵味方関係なくスポーツという舞台で正々堂々と競い合っていた素晴らしい大会であったように映る。あるいは、このように大会をスムーズに、公平に、素晴らしいものとして成功させたということがヒトラーのおかげだとするところに究極的なプロパガンダがあるのかもしれない。
そんな中、現代から見るときになるのは、まずは女子選手の不在、黒人の扱いだろう。女子選手は序盤で砲丸投げなどで登場するが、圧倒的に男子選手の種目のほうが多い。オープニングのギリシャの彫像と生身の人間のオーバーラップからすると、男性は強靭さを象徴し、女性はしなやかさを象徴しているようだから、女性は第二部の『美の祭典』のほうに多く登場するのかもしれないが、しかし陸上競技での女性の注目のされなさというのは、ちょっと気になるところではある。
そして、黒人選手だが、アメリカは黒人選手のおかげで多くの種目を制している割には、あまりその黒人選手を賛美していないような気がする。ナレーションでは「ニグロ」と呼び、明らかに区別してみているのがありありとわかる。
日本人としては、日本選手として登場する選手の中に、朝鮮半島や台湾の選手が混じっていることに注意を向けなければならない。マラソンで優勝した孫選手は明らかだが、他の選手も植民地出身の選手かもしれないのだ。日本国民は彼らの優勝に喚起したかもしれないが、優勝した彼らは日の丸を背負っているということに、反発を感じていただろうと思うのだ。映画のクライマックスともいえるマラソンの表彰式で、孫選手は日の丸が掲揚されてもうつむいて顔を上げない。月桂樹の冠は垂れ、とても優勝者には見えないのだ。ベルリン大会は日本選手が活躍した大会といわれるが、その背景には日本の植民地支配があったということを忘れてはいけないと痛感させられた。