華氏911
2004/9/3
Fahrenheit 9/11
2004年,アメリカ,112分
- 監督
- マイケル・ムーア
- 脚本
- マイケル・ムーア
- 撮影
- マイク・デジャーレ
- 音楽
- ジェフ・ギブス
- 出演
- ジョージ・W・ブッシュ
- マイケル・ムーア
2000年の大統領選挙、疑惑のフロリダ州のレポートから映画は始まる。休暇を楽しむブッシュを経て話は「9.11」に。この「9.11」をめぐり、ブッシュ一家とビン・ラディン一家、サウジアラビア王室との関係などをまとめてブッシュの裏の顔を暴くという筋立て。
知っている人にはそれまでだが、知らない人にとってはまさに眼を見開かされるような作品。ディズニーの配給拒否、カンヌ映画祭でのパルム・ドール受賞、ブッシュ政権による上映禁止運動、などなど話題には事欠かず、ドキュメンタリーとして異例の大ヒットを記録、やっぱり見とかなきゃという気にさせる作品。
とりあえず予想の範囲は出ない。これは映画ではあるが、同時にレポートであり、キャンペーンであることは明らかだ。それも予想の範囲を出ない。ブッシュが文句を言うのも当たり前というか納得がいくというところだが、これを見た観客/市民がそのまま民主党に投票すると考えてるのだとしたら、それこそ国民を馬鹿にしているとしか考えられない。この映画に目くじらを立てるということは、国民をメディアに先導されやすいバカだと宣言しているようなものだと思う。
この映画は“反ブッシュ”を高らかに謳いあげるが、必ずしも民主党への投票を促すものではない。ただ「ブッシュを信じるな」と言っているだけのことで、それ以上でも以下でもないのだ。
この映画に限らず、マイケル・ムーアのよさはわかりやすさにある。権力によって盲にされ、無知のままに生かされている市民に啓蒙の光を投じる。ある意味ではそれは非常に高飛車な行動ではあるのだけれど、そのような批判を受けることを承知しながらマイケル・ムーアはわかりやすさのほうを取る。見捨てられた街の出身者として見捨てられた人々の側に立ち続けようとするのだ。
それを偽善だと批判することは簡単だが、それをやるということは非常に重要なことでもあし、勇気もいる。マイケル・ムーアはそれをやり、それを続ける。その姿勢には拍手を送りたい。知っているものが知らないものに語りかけることは非常に難しいことなのだ。マイケル・ムーアを批判する前にそのことを頭に叩き込んでおかなければならない。
この映画で彼はとてつもなく有名になってしまった。映画は大ヒットし、彼の懐には大きな額のお金が入るだろう。それで彼は金持ちになるわけだが、それでも彼は見捨てられた人々の側に立ち続けようとするだろう。それが彼の心情だからでもあるが、そうしないと彼は儲からないからでもある。
彼は結局、その見捨てられた人々が払うお金から利益を得る。彼らから金を巻き上げるのだ。確かに彼らはそのお金に見合う対価を得たかもしれない。しかし、彼はそのお金をどうするつもりだろうか?
映画を観ながらふとそんなことを思った。
観客が支払ったお金のほんの一部はマイケル・ムーアに入るが、その大部分は大企業に流れるわけだ。アメリカという社会のシステムはすべてがそのように出来ている。一般人は何をしても大企業に掠め取られてしまう。にもかかわらず、彼らに与えられている選択肢とは「共和党か、民主党か」という大企業の親玉同士を比較検討するに等しい選択肢だけなのだ。
このようなシステムはいったいどのように出来上がってきたのか。マイケル・ムーアの声高なキャンペーンを見ながらそんなことを考える。マイケル・ムーアがそれを描けるなら彼は本物だ。ムーアは『ロジャー&ミー』でフリントという狭い範囲でそれをやってのけたと思う。果たしてそれをアメリカという巨大な闇に対して出来るだろうか。多分出来ないだろう。でもやって欲しい。
なぜアメリカ人は「共和党か、民主党か」という二者択一に追い立てられ、自分の首を絞め続けなければいけないのか?
このようなことを書いたのは、この映画がやはりその二者択一から逃れられていないからだ。これが「民主党に投票しよう」キャンペーンに映るのは、「反ブッシュ」の選択肢が民主党しかないからだ。そしてそれはケリーに投票するということでしか実現できない。果たしてこのケリー上院議員なる人物は何者か。とりあえずケリーの息子はイラクに行っていないだろうし、前回の大統領選でのフロリダ州のアフリカ系の下院議員の意見にもサインをしなかったことは確かだ。そして彼は名門フォーブス一家の一員である。その点では成り上がりのブッシュ家よりも年季の入った大富豪であり、さらに奥さんはハインツ家の遺産相続人でその資産額は数百億円といわれる。
ケリーがそんな大富豪であり、決して見捨てられた人々の見方ではないとわかりながら、それでもブッシュに反対するには彼に一票を投じなければならないのだ。
ムーアは映画の中で「民主党だって信用できるわけではない」とほのめかす。しかし、それでもこの映画には「民主党に投票する」という以外の答えはない。わかりやすさのためにより複雑に物事を理解することを放棄したからだ。