ビデオドローム
2004/9/11
Videodrome
1982年,カナダ,87分
- 監督
- デヴィッド・クローネンバーグ
- 脚本
- デヴィッド・クローネンバーグ
- 撮影
- マーク・アーウィン
- 音楽
- ハワード・ショア
- 出演
- ジェームズ・ウッズ
- デボラ・ハリー
- ソーニャ・スミッツ
- レイ・カールソン
ポルノを放送する地方TV局の社長マックスは会社のハーランから電波を傍受したという“ビデオドローム”番組を見せられる。それは残虐な行為を映す番組なのだが、マックスは恋人にニッキーとともにその番組になぜか惹かれていく。マックスは自分のTV局で放映しようとするのだが、そのビデオには恐ろしい秘密が…
グロテスクなSFホラーに定評を築いたクローネンバーグのメディア・ホラー。ビデオが恐怖の元になるという意味では『リング』などにもつながるのかもしれない。
このクローネンバーグという監督はホラー映画を作りたいのか、それともただグロテスクで気持ち悪い映像を作りたいだけなのか。とにかくどの映画を観ても「何じゃこりゃ!」と思うような突飛な発想の、グロテスクな特撮が飛び出すわけだが、それが必ずしもホラーとしての恐怖にはつながらないのだ。もし、これらの特撮が人の恐怖をあおるために作られているのだとしたらこの人はホラー映画を作る才能はないということになるが、ただグロテスクなものを見せて監督を驚かせたいだけならば、ある種の天才ということになる気がする。
この映画も、一応はSFホラーまたはメディア・ホラーと名づけてみたものの、実際のところそんなジャンル分けには何の意味もなく、そもそもホラーでもないかもしれないのだ。だってこの映画は、時々は怖いにしても、基本的に怖い映画ではない。
設定は“ビデオドローム”なるビデオを見ることで脳腫瘍が出来て、それによって幻覚を見るようになって、うんぬんかんぬんという話だが、果たしてその話に説得力があるのか、現実とつながる恐怖がそこにあるのか、といわれると、「否」といわざるをえないのだ。確かにビデオを見すぎるとなんだかボーっとして心ここにあらずということになることはあるけれど、いくらなんでもあそこまでは… と思ってしまう。
どうしてそうなるかといえば、『スキャナーズ』のところでも書いたが、SF的な詰めの甘さがそこにあるのだと思う。つまりなぜ“ビデオドローム”が脳の内部に影響を与えるのかが明らかになっていないのだ。そこが詰まっていないからどうも説得されない、だからリアルな恐怖が生まれない。そういう循環が成り立ってこの映画は怖くなくなってしまう。
しかし、それが失敗なのかというと、そこは微妙だ。クローネンバーグはそこをこじつけたりごまかしたりしようとはせずに、映像の力で圧倒しようとしてしまう。「何故か」を問うよりも実際に見せることで観客を説得しようとするのだ。
その前提にあるのは、幻覚を見るようになるまでは幻覚を見ているということに気づかないということだ。当たり前といえば当たり前だが、幻覚を見ていると気づくときはすでに幻覚の中にいる。ほとんどの時は現実にいるとしても、自分が幻覚を見ていることを認識してしまうと、何が現実か判然としなくなってしまう。そうなると現実的な説明に説得力を与えることは難しくなる。果たしてそれが現実かどうかわからないのだから。
映画の序盤ではハーランが現実を保証する他者として現れたのだが、幻覚が強まっていくにつれてそれも怪しくなっていき、現実を保証するものがなくなってしまう。ここまで来てしまえば、“ビデオドローム”が脳に影響を及ぼす理由付けなどというものは(マックスにとっては)まったく意味のないものになってしまうのだ。
したがって、クローネンバーグの映像世界に魅了され、その世界の中に入り込んでしまえば、そのあたりの詰めの甘さなどというものはどうでもよくなってしまうということだ。しかし、映画としてのリアリティを求めていくと、どうも納得が行かないという感じになってしまう。
やはり、結局クローネンバーグが観客に見せたいのは、物語ではなくて、映像なのだと思う。