逃げ去る恋
2004/10/18
L'Amour en Fuite
1978年,フランス,96分
- 監督
- フランソワ・トリュフォー
- 脚本
- フランソワ・トリュフォー
- 撮影
- ネストール・アルメンドロス
- 音楽
- ジョルジュ・ドルリュー
- 出演
- ジャン=ピエール・レオ
- マリー=フランス・ピジェ
- クロード・ジャド
- ダニエル・メズギッシュ
アントワーヌは新しい恋人サビーヌと付き合いながら、印刷所で働いていた。そして長らく別居を続けていた妻クリスティーヌと協議離婚をする。裁判所でそれを見ていた弁護士で昔の恋人のコレットはアントワーヌが1・2年前に本を出していたことを思い出し、思いを寄せる店員グザビエのいる本屋でその本を買う。その本を持って汽車に乗ったところで、息子を送りにやってきていたアントワーヌと偶然に出会う…
トリュフォーの自伝的シリーズ“ドワネルもの”の最終話となる第5作。これまでの作品の様々なシーンを回想として織り交ぜつつ、アントワーヌの新たな恋を描く。
この作品は最初から最終話として構想されていたのだろう。まとめという感じで、これまでの作品のシーンが回想シーンとして登場する。そして、第1作の『大人は判ってくれない』は別にして、2作目以降では常にアントワーヌの恋人であり妻であったクリスティーヌと別れるというのがこのシリーズの結末を示す決定的な要素である。アントワーヌは毎回、他の女性に思いは寄せるものの、結局クリスティーヌを忘れられないのだ。この“ドワネルもの”2作目からこの5作目まではいわば「アントワーヌとクリスティーヌ」という物語であり、それが結末を迎えてしまった今、このシリーズも終わらざるを得ない。このシリーズはトリュフォーの自伝的シリーズと位置づけられるが、彼ひとりの物語ではない以上、この続きを作るとしたら、まったく別の物語になってしまうだろう。
この作品はシリーズのまとめであると同時に、アントワーヌの性格というか人間性を、これまでに付き合った女性たちの発言で浮き彫りにしていくという物語でもある。そして、彼の自己中心的なエゴイズムの根っこが少年時代の親との関係にあると分析するわけだ。ここでこの物語は第1作の『大人は判ってくれない』とつながるわけだが(母の恋人だったルシアン氏まで登場させている)、このようにしてすべてをまとめようとしてしまっているところでこの映画はわかりにくくなってしまっている。
つまり、“ドワネルもの”なるシリーズは最初は本当にアントワーヌ・ドワネルの物語として始まったが、途中からアントワーヌとクリスティーヌの物語にすりかわり、そしてそのアントワーヌとクリスティーヌの物語が終わることでシリーズも終わるということになったわけだが、同時にアントワーヌの物語にもひとつの切りをつけることにしてしまった。そのために昔の恋人やら何やらを登場させる必要が出てきて、プロットは混乱し、なんともまとまりのない印象を与えることになってしまったのだと思うのだ。
アントワーヌのその後を知りたいファンの身としては、この5作目はあくまでもクリスティーヌとの関係に切りをつける話にして、2~5作目にまとまりを付け、1作目と6作目をつなげて、シリーズを続けて欲しかったと思ったりする。
そうすれば少年時代の母との関係や、それと今の性格との関係を(トリュフォーなりに)緻密に分析が出来たはずだ。もちろん少年時代の体験はトリュフォーの映画に繰り返し現れるモチーフだから、他の作品を見ることで理解は出来るわけだが、明確に自伝的と考えられるこの“ドワネルもの”で描かれたほうがわかりやすかったと思うのだ。
終わり方がパッとしなかったのは残念だが、“ドワネルもの”が面白いことに変わりはなく、そしてそれが「作家主義」を徹底するトリュフォーにとって象徴的な作品であることも確かなのだ。