続サラリーマン忠臣蔵
2004/10/21
1961年,日本,110分
- 監督
- 杉江敏男
- 原案
- 井原康男
- 脚本
- 笠原良三
- 撮影
- 完倉泰一
- 音楽
- 神津善行
- 出演
- 森繁久彌
- 小林桂樹
- 夏木陽介
- 加東大介
- 東野英治郎
- 山茶花究
- 草笛光子
- 新珠三千代
- 司葉子
- 宝田明
- 有島一郎
- 三船敏郎
- 志村喬
- 久慈あさみ
- 三橋達也
- 柳家金語楼
にっくき吉良に乗っ取られた赤穂産業に反旗を翻し、大石興行を起こした大石良雄、新会社の専務となった小野寺をはじめとする部下たちも新会社に馳せ参じ、設立記念会の会場でついに四十七人の同士がそろった。しかし、頼みのフランスはアマン社の特許の買い手が吉良の妨害もあって見つからず、会社の資金繰りはだんだんと苦しくなっていった…
東宝サラリーマン映画100本を記念して作られた『サラリーマン忠臣蔵』の続編。と、いうよりは最初から2部仕立てで作られたと考えたほうがいいのかもしれない。ついに立ち上がったサラリーマンたちのその後をこれまた痛快に描いた傑作。
形式上は『サラリーマン忠臣蔵』の続編ということになるが、事実上は正編と続編がセットで一本の映画という感じで、正編の最後も、続編に向けてまさに「これからやるぞ」と気を持たせるような終わり方にさせている。しかも公開日を見ても、正編が昭和36年の正月に向けた35年の年末公開で、続編はそのきっかり2ヵ月後の公開になっている。ということなので、出演者も正編から引き続きの豪華キャストで、三船敏郎もしっかり出演している。
そして、話としては正編よりもこの続編のほうがまとまっている印象だ。とにかく物語を復讐劇に集中させて、しかもそれを現代のビジネスのフィールドで果たそうとする。それはまさに「サラリーマン忠臣蔵」の看板どおりのプロットである。正編では惚れたはれたの話がかなりのウェイトを占めることで主プロットのほうの濃度が薄まった感があったのとは対照的で、主プロットがぐいぐいと映画を引っ張っていく。
それでももちろん、惚れたはれたの話も継続され、それが主プロットにも絡んでいく。この物語は忠臣蔵をモチーフとした忠義の話であるはずなんだけれど、よーく考えてみると、惚れたはれたの男女の関係に動かされているのかもしれないとも思うのだ。結局、最終的に物事を解決するのは愛情によるつながりだと、そう言っているように思えてならない。
正編ではそれぞれの個人がそれぞれの感情にしたがって動くというドライな印象があったけれど、この続編を見ると、そのようにばらばらだった個人がどこかでひとつにまとまっていく感じが見て取れる。そしてそれは忠義や大義といった核によってひとつにまとまるというよりは、それぞれが他の誰かに対して持っているつながりによってまとまっているように見えるのだ。そして、それは忠義でも損得でもない感情的なつながりであるのだと思う。
もともとの忠臣蔵が主君への忠義を果たす“忠臣”の物語なのだとしたら、この映画はその物語からは外れて行っている。しかし、現代にそんな“忠臣”の物語をやってみたところで受けるはずもなく、このような個人的なつながりの物語になるのは必然だったのだと思うのだ。
しかし、だとすると忠臣蔵が今も人々に受けるのはなぜなのだろうか、と考えてしまう。亡き主君のためにという旗印よりも、それに向かって一丸になる赤穂浪士たちの結束とか友情とか、そういうものが受けるのだろうか?
ともかく、この映画は正編と続編で一本の映画ではあるが、そこには微妙な違いもあるということである。
配役という点でも、多少の変化を見ることが出来る。一番大きいのは登場する女優の問題である。正編では新珠三千代が主人公のひとりとして登場し、それに次ぐのが司葉子となっていたが、この続編では新珠三千代は後ろに退き、正編ではほんの端役で登場しただけだった草笛光子が中心になってきて、司葉子は今回も二番手という位置だ。
私としては新珠三千代はひとりで看板を張れるが、司葉子や草笛光子ではちょっとつらいという印象があるから、このやり方は腑に落ちる。そんな中でも、草笛光子はなかなかいい味を出していて、ここも正編と続編で変化を感じられるところだ。