ソウ
2005/2/7
Saw
2004年,アメリカ,103分
- 監督
- ジェームズ・ワン
- 原案
- ジェームズ・ワン
- リー・ワネル
- 脚本
- リー・ワネル
- 撮影
- デヴィッド・A・アームストロング
- 音楽
- チャーリー・クロウザー
- ダニー・ローナー
- 出演
- ケイリー・エルウィズ
- ダニー・グローヴァー
- リー・ワネル
- モニカ・ポッター
- トビン・ベル
- ケン・レオン
目覚めると見知らぬ部屋のバスタブの中で、足に鎖を掛けられていた。部屋の真ん中には頭を打ち抜いた死体、部屋の向こう側には同じようにつながれたもう一人の男。そのもう一人の男はドクター・ゴードンと名乗る。そしてポケットの封筒にはマイクロテープが入っており、犯人と思しき男からのメッセージが記録されていた…
密室を中心に展開されるサスペンス・ホラー。オーストラリア人のジェームズ・ワンが監督したインディーズ系映画で、2004年のサンダンス映画祭に出品されて話題を呼んだ。
密室で展開されるサスペンスホラー、何のためにそこに閉じ込められてしまったのかわからないという前提、そのあたりを考えると同じくインディーズで大ヒットとなった『CUBE』を思い出さずにはいられない。ただ、『CUBE』が完全に密室の中だけで展開される物語(セットはほとんどたった一つのキューブだけ)であったのに対して、この映画ではその密室の外部でも物語が展開される。そのあたりの徹底性にかけるがゆえに『CUBE』に満ち溢れる緊張感を表現することは出来なかった。
しかし、この映画ではドクター・ゴードンがアダムに語る過去の事実をふんだんに織り込み、それを映像で表現することによって意図的に時間軸を混交させるという手法がとられている。
そのあたりを考えてみると、この映画には2つの謎解きが仕掛けられているということが言える。ひとつは犯人が密室の中のふたりに対して仕掛けた謎解き、つまり「どうしたら、部屋から生きて出られるのか」という謎解きであり、もうひとつはいったい犯人は誰なのかという謎解きである。この2つの謎は密室のふたりに対しての謎掛けであると同時に、観客に対する謎掛けでもある。
そして、さらに観客にはこの密室の外の状況というのがヒントとして与えられることになる。それらを総合的に考えて謎を解いていくという楽しみ、これがこの映画の面白みということになるわけだ。
つまり、この映画においては観客にとってはそれぞれの登場人物は謎解きのパズルのピースに過ぎない。確かに基本的にドクター・ゴードンに感情移入するように作られてはいるが、観客は彼が知っていること以上のことを知ることができるわけだし、密室にいる彼と同一化して映画の中の空間を体験するということにはならない。
ということは、この映画は『CUBE』に外見上は似ているようで、まったく違う映画だということになる。『CUBE』の場合には観客はCUBEに閉じ込められた人間と同じ情報しか与えられず、そこからいかに抜け出すかという謎に一緒に取り組むという方向性が与えられていたわけで、それはこの映画の第三者的な視点、いわば探偵の立場に立たされたような謎解きの方向性とは大きく違うのだ。それがこの映画に『CUBE』のようなトリップ感がなかったこの理由だろうと思う。この映画はサスペンス・ホラーでありながら、恐怖に引っ張られてトリップする映画というよりは、その謎と恐怖の源泉を理知的な視点から処理していく映画だということになる。
だとすると、この映画で腑に落ちないことがひとつある。それは、アダムがどうすればこの密室を出ることが出来るのかが明らかにされていないということだ。ドクター・ゴードンはアダムを殺せば部屋から出ることが出来るといわれているが、アダムはどうしたら出られるのか告げられていないし、しかもアダムはそのことについて何もいわない。それが実はアダムが犯人であるということのほのめかしであるならば、わからないではないのだが、映画はそのようには展開していかない。その疑問は映画を観終わっても残ってしまった。こういう密室劇などの限定された空間で行われる論理的な謎解きというのは、映画を観終わったときにすべてがすっきりと解決しないと後味が悪い。この映画の結末はすごく面白いものだったのだけれど、ただその点が引っかかりとして残ってしまったのが残念だ。