サイドウェイ
2005/4/7
2009/4/5
Sideways
2004年,アメリカ,130分
- 監督
- アレクサンダー・ペイン
- 原作
- レックス・ピケット
- 脚本
- アレクサンダー・ペイン
- ジム・テイラー
- 撮影
- フェドン・パパマイケル
- 音楽
- ロルフ・ケント
- 出演
- ポール・ジアマッティ
- トーマス・ヘイデン・チャーチ
- ヴァージニア・マドセン
- サンドラ・オー
- メアリールイーズ・バーク
- ジェシカ・ヘクト
小説家の夢を捨てきれない中年の国語教師のマイルスは、親友で一週間後に結婚する俳優のジャックとワインセラー巡りの旅に出る。マイルスはソムリエも真っ青のワイン通でジャックを楽しませようと考えていたが、ジャックのほうは独身最後一週間に女をナンパすることしか考えていなかった…
『アバウト・シュミット』のアレクサンダー・ペインがダメ男を主人公にほろ苦い人生の一ページを笑いで包んで描いた佳作。非常にじみだが味わい深く、クスクス笑い、時々爆笑。
この映画の本当の冒頭、たたき起こされた完全にダメ男然としたマイルズが、自分の車を動かすために下に行ったそのカットで、マイルズの車がすでに前の車にぶつかっている。この小さなクスグリでこの映画はいけると思った。その予感どおり映画はそんなクスグリで満たされていて、クスクス笑って楽しく観ることが出来る。
そのおかしさはなんと言ってもマイルスのダメ男っぷりから来るのだが、その最たるシーンはマイルスがジャックからとある告白を聞かされて、ワインを引っつかんでジャックから逃げ出そうとするシーンだ。このおかしさがこの映画そのものであるという気がする。そのおかしさというのは非常にゆる~いおかしさなので、必ずしも誰もが楽しめるというわけではないが、はまってしまえばこの上なくおかしい。
この映画はそんな細部のおかしさによって成り立っているわけだが、それはただおかしなシーンをちりばめただけという単純なものではなく、実は緻密に組み立てられたおかしさなのではないかと思う。
たとえば、この映画は基本的にマイルズの視点から語られているわけだが、その語り手であるマイルズがワインを飲み過ぎて酔っ払ってくると、フォーカスが短くなって、画面の大部分がぼやけたイメージになる。ジャックが言うところの「ダークサイド」に入ったときにはマイルス自身の顔だけ、あるいは電話の受話器だけというピンポイントにしか焦点は合わず、さらに酩酊してふらふらになると画面全体がぼやける。
マイルズがひとりで“ヒッチング・ポイント”に行って、すっかり酩酊したシーンでは店から出てくるマイルスを捉える画面は完全にピンボケで、それが店員の視線から見たマイルスの後姿になると、すっとピントが合うのだ。このあたりの地味だけれど微妙な表現の妙というのが、この映画にはいろいろあって、それが楽しい。
例を挙げ始めると枚挙に暇がないが、たとえば常套手段ともいえる反復という手法でいえばクロスワードパズルの使い方なども私はすごくよかったと思うし、画面にまったく関係のない気になるものを配置するというのもある。お母さんの家の壁にかかっていたギターの形をした変な手工芸品とか。
こういう微妙な笑いは文章で書いてもまったく伝わらないのが口惜しいが、とにかくそんなゆる~い笑いが満載なのだ。
序盤に笑いをちりばめ、テンポよく展開していくことで、終盤にかけてのつなぎとなる中ほどの少し鈍い展開もあまり苦にすることなく乗り越えることができる。話としてはかなりひどい話だけれど、このダメ男たちには悪気はなく憎めない。
女性側の視点から見れば憎めないとはとてもいえないような気もするが、まあこんなダメ男に引っかかった自分があほだったとあきらめるしかないというべきか…
それに、車がどちらの道を選択するかという様子を俯瞰から写したショットを効果的に使うなど、映画の中に入り込みすぎず、傍観者の立場からみ続けられる仕掛けを多く取り込んだのも、このダメ男たちを暖かく見つめられる理由になったのではないかと思う。
この作品でステファニーを演じたサンドラ・オーはドラマ「グレイズ・アナトミー」でブレイク、映画界にもそろそろ進出してくるんじゃないかという気がする。