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H story

2005/7/26
2001年,日本,111分

監督
諏訪敦彦
撮影
カトリーヌ・シャンプティエ
音楽
鈴木治行
出演
ベアトリス・ダル
馬野裕朗
町田康
preview
 広島出身の映画作家諏訪敦彦がアラン・レネの『二十四時間の情事』のリメイクを撮影、フランスから女優ベアトリス・ダルを迎え、撮影は順調に進んでいるかに見えたが、ひとつのシーンでベアトリスがテキストに違和感を覚え、撮影がストップする…
 映画のメイキングのようでありながら、本編の映画は存在しないという不思議な映画。フィクションなのか、ドキュメンタリーなのか、見れば見るほど判然としなくなる。
review

 この映画の始まりは、映画のメイキングという体裁だ。アラン・レネの『二十四時間の情事』をマルグリット・デュラスの原作のテキストそのままにリメイクする。そのような映画のメイキングとして映画はスタートする。そして、その撮影現場を訪れた体の作家・町田康が「40年前のものを今リメイクすることに何の意味があるのか」と語ることで、映画はおかしな方向に進んで行く。
 私は、ここで「時間がたったからこそリメイクする意味があるんじゃないの」と思った。時間がたち、認識が変わったことで同じテキストでもまったく違う形の作品が生まれる。それがリメイクというものの本来的な意味なのではないかと思うからだ。だから、町田康はなんて的外れなことを訊くんだろうと思った。
 しかし、映画が中盤に差し掛かり、ベアトリス・ダルがひとつのセリフに引っかかり、「テキスト通りに演じさせられ、自由がない」という時、彼女と同じようにこのリメイクの意味を疑うようになる。監督は違う肉体が演じることによって違う映画になるというのだが、言葉とは肉体から発せられるものであり、言葉がまさしく身についていなければ、その言葉はふわふわとした軽いものになってしまうのだ。だから、彼女がいうように彼女の肉体から発せられる言葉によって演じられなければ、この映画には意味がなくなってしまうのではないかと思う。

 そのように考えると、この映画は頓挫した映画のドキュメンタリーであるかのように見える。しかし私はそれを疑う。諏訪敦彦は『M/OTHER』でも脚本を用意せず、その場で役者たちにセリフを考えさせるという斬新な撮影手法を使った監督だ。彼がそのようにテキストに固執して撮影を頓挫させるとは思えない。彼はむしろ確信犯的にベアトリスが挫折することを狙っていたのではないか。そして彼女の考えと町田康の考えが一致することを利用して彼らの間に本編とは別のドラマが生まれることを企図したのではないか。
 いや、むしろ、メイキングのような体裁をとっているドキュメンタリーじみた映像の全てが最初から企図されたシナリオだったのではないか。撮影現場を訪れた町田康に対するインタビューも、その後の展開も全て演出なのだと考えるほうが実は自然だ。
 たとえば、セットの外で町田とベアトリスが並んで座るシーン、カメラはベアトリスの登場前からその二人が座るステップを正面から捉えている。そして、町田とベアトリスがお忍びでデートへと出かける場面、空々しい助監督からの電話はカメラが町田とベアトリスを捉えているその時にかかり、両方の会話がしっかりと録音されている。あるいは、美術館を訪れた場面、ベアトリスが去ったあともカメラは待ちだの車を捉え続ける。それは町田がすぐに現れるということを知って待ち構えているとしか考えられない。

 だから、この映画は実は『二十四時間の情事』のリメイク映画のメイキングという体裁をとったまた別の「ヒロシマ・モナムール」であるのだ。広島を訪れたフランス人女優が建築家ではなく作家に出会う物語が作られたのであり、この作品中で作られているリメイク映画などというものはそもそも存在しないことは明らかだ(本気で映画を作ろうとしていると考えるには時代考証などが適当すぎる)。
 そのような映画としてみたときに、この作品から伝わってくるのは、場所の記憶、孤独、失うことの意味、などというものだ。広島という場所が記憶している原爆、それはそこを訪れた人に失うことの意味を思い出させる。これまでに失ってきたものの事を思い出させ、孤独を感じさせる。この映画で最初に印象に残るのは結婚指輪だ。劇中のベアトリスも馬野も、それを撮影する監督も結婚指輪を指に光らせている。しかし、彼らは孤独だ。彼らは広島という場所で孤独を味わい、人を求めてしまう。そのような孤独とセリフとがあまりにも一致してしまうがゆえにベアトリスはセリフに詰まる。監督はそれを指摘し、撮影はストップする。全ては広島という場所の記憶がそうさせるのだ。
 そしてその孤独がベアトリスと町田とを近づけるのだが、彼らの孤独が癒されることはない。場所の記憶が彼らに繰り返し繰り返し孤独と失うことの意味を思い出させてしまうから。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本90年代以降

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