1999年,日本,147分
監督:諏訪敦彦
撮影:猪本雅三
音楽:鈴木治行
ストーリー:諏訪敦彦、三浦友和、渡辺真起子
出演:三浦友和、渡辺真紀子、高橋隆大、梶原阿貴

 一緒に暮らす男と女、男・哲郎(三浦友和)は離婚経験があり、子供が一人いる40代のレストラン経験者、女・アキ(渡辺真紀子)は(おそらく)20代でデザイン会社に勤めるOL。ある日、男は女と暮らす家に息子・俊介(高橋隆大)を連れてきた。哲郎の元妻が交通事故で入院し、1ヶ月くらい一緒に暮らすつもりで連れてきたらしいのだが…
 自由な関係であったはずの男女が、一方の子供という要因が加わることによってその関係が変化して行くさまを描いて行く。ほとんど脚本がなかったという映画のストーリはー出演者たちによって組み立てられていった。 何よりも映像に力強さがあり、まさに「ジョン・カサベテスを髣髴させる」という評価がしっくりとくる力作。

 この映画、まず冒頭の5分くらいのパン移動だけの長まわしに度肝を抜かれるが、人物がフレームからいなくなったり、人物がいないところで声だけがかすかに聞こえたり、奥のほうが暗かったりという映像が「ああ、ジョン・カサベテス」という印象を生む。そして終始この「ああ、カサベテス」という印象は続く。暗い画面、カットをつなぐときの長い空白、一方しか映さない会話のシーン、アドリブとしか思えないセリフ運び、などなど。
 個人的には暗い画面の映画というのは嫌いなんですが、この映画に限ってはまったく苦にならなかった。それだけ、画面の構成に力がある。フレームに区切られた構図(しかもそれはしばしば固定されたまま長時間続く)の不安定さが抽象画を見ているようなスリルを与えてくれる。安定してはいないのだけれど、調和の取れているという危うい美しさ。これは大部分は偶然の産物ではなくて、計算されたものだと思う。特にライト(撮影用のではなく、物として置かれているライト)の配置に工夫が凝らされていて、画面の構成が面白くなるようにライトの配置が常にされている。
 ストーリー的には、登場人物があまりに自己中心的で、あまりにストイック過ぎるのが気になったが、このように描かれてしまう男女関係というのも確かにあるなという感じはする。結局、二人の間で言葉によって何かが話し合われることもなく、二人の関係は変化していってしまう。そのあたりは「なるほどね」という感じでした。

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