独立愚連隊西へ
2005/10/15
1960年,日本,107分
- 監督
- 岡本喜八
- 脚本
- 関沢新一
- 岡本喜八
- 撮影
- 逢沢譲
- 音楽
- 佐藤勝
- 出演
- 加山雄三
- 佐藤充
- 堺左千夫
- 江原達怡
- 中谷一郎
- 山本廉
- 中丸忠雄
- 水野久美
- フランキー堺
- 沢村いき雄
- 天本英世
北支戦線、歩兵第四六三連隊は戦闘で一中隊を失い、軍旗の行方もわからなくなってしまった。連隊長の大江大尉は軍旗捜索隊を出すがそれも全滅、そんな時、増援隊として、危険な戦線ばかりを転戦し、恐れられている独立左文字小隊がやってくることが明らかになる…
『独立愚連隊』の続編だが、設定をがらりと変えて、前作で主人公だった佐藤充を準主役とし、加山雄三を主役に据えた。前作同様、軽妙な西部劇じみた展開が面白い。
この作品は前作よりもさらに、戦争を劇画化している。まず、左文字小隊の登場からして、敵であるはずの中国軍と追いかけっこをし、双方へとへとになったところで勝負がお預けになるという、あまりにありえない展開なのだ。そしてさらに、その中国軍側の将校がフランキー堺なのだから、それだけでこの映画がまずコメディであるということが明らかになる。そして、その予想通り、展開は基本的に劇画的で、漫画的である。そして、その作り物じみた感じは西部劇にも似る。岡本喜八が西部劇を意識している事は、関曹長が「こんなシーンが西部劇にあった」と2度もいうことから明らかだし、それを茶化していることもこの関曹長がどうしようもないキャラクターであることからわかるようになっている。
そして、そんな笑いはあらゆる細部にまで詰め込まれている。赤チンと呼ばれる衛生兵の恋人が中国の人民服を着せられているのも変だし、神谷一等兵のそろばん占いももちろん変だ。このようなおかしさ、ズレが笑いを有無というのは岡本喜八の得意技であり、そのような意味では戦場という緊張感溢れる場にゆるい感覚のものを配するそのギャップで笑いを有無というのは、いかにも彼らしい笑いの作り方だといえる。『殺人狂時代』のおかしさも『ああ爆弾』のおかしさもそのようなおかしさに起因するものだった。
だから、この映画はまずコメディであり、岡本喜八の異常な笑いがその中心なのだ。それでも佐藤充は格好いいし、加山雄三もそこそこ格好いい。アクションシーンは弾が主人公たちをよけていているようでリアルさには欠けるが、ヒーローというモノはそういうモノなのだ。このあたりも西部劇を思い出させるが、そのような意味においてもこの映画はアクション映画でもある。そして、さらに言えば戦争映画でありながら、まず脳天気に楽しむことが出来るアクション・コメディである。フランキー堺や天本英世のおかしさを笑うも良し、左文字小隊の各キャラクターによって演じられるギャグを笑うも良し。とにかく楽しめばそれでいい。
そのような意味では、戦争云々を抜きにしても、今でも素直に楽しむことが出来る作品なのだ。
しかし、やはり岡本喜八はそれだけではやめない。戦争映画である以上、戦争に対する考え方を示すし、それは前作同様「戦争はバカバカしい」ということなのだ。まず、この作品の主プロットとなるのは、軍旗を探し戻ってくるということである。言ってしまえばただの旗である軍旗のために多くの兵士が命を賭け、そのためには本当に死んでもいいと考える。それがバカバカしいことでなくて何なのだろうか。中国側が冒頭で「何故軍旗がそんなに大事なのか」ということからも、それが日本軍の異常さであり、日本の軍国主義のいびつさであることがわかるわけだが、それに反発を覚えている差文字中隊の面々もその命令に逆らうことは出来ない。いったい何のためにそんなことをするのか、そんなことをしなければならない戦争とは何なのか。あっさりと笑って別れた冒頭のフランキー堺の中国軍のことなども考えると、そんな想いを抱かずにはいられない。
戦争が終わって、戦争を振り返ってみて、みんなが抱いた「いったいなんだったのか」という思い、それが「戦争なんてバカバカしい」という思いにつながる。岡本喜八は戦争を描きながら、そんなことをいい続けているような気がする。