ふたりの5つの分かれ路
2006/2/10
5 x 2
2004年,フランス,90分
- 監督
- フランソワ・オゾン
- 脚本
- フランソワ・オゾン
- エマニュエル・ベルンエイム
- 撮影
- ヨリック・ルソー
- 音楽
- フィリップ・ロンビ
- 出演
- ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ
- ステファン・フレイス
- ジェラルディン・ペラス
- フランソワーズ・ファビアン
- アントワーヌ・シャピー
- マイケル・ロンズデール
離婚手続きを終えたマリオンとジルはホテルへ行く。ふたりはジルはマリオンを誘い、セックスに及ぶ。しかしマリオンはそれを「なんだか変だ」と言い始める… このエピソードからはじまり、時間軸を逆にたどりながら5つのエピソードを重ね、その離婚に至るまでのふたりの物語を綴って行く。
エピソードを逆にたどるという手法以外はいたってオーソドックスなフランソワ・オゾンらしからぬ恋愛ドラマ。オゾンもカルトを卒業し、正統派の監督になったのか?
フランソワ・オゾンといえばカルト的な作品を撮ってきた監督で、この作品の前作にあたる『スイミング・プール』が比較的オーソドックスな作品で一般的なヒット作になったとはいえ、それでもそのモチーフはどこか異常な殺人であり、猟奇的なにおいが作品に漂っていた。しかし、この作品は離婚した1組のカップルの離婚に至るまでの道筋を逆の順序でたどったというだけで、その内容は非常にオーソドックスなものである。だから、今までオゾン作品のようなカルト感を求めると拍子抜けする。
では、オゾンらしさをいったん忘れてこの作品を観てみるとどうか。オゾンがいわゆる普通の監督として認められようとして路線の変更を図ったのかどうかはわからないが、普通の作品としてこの作品を観るとどうなのだろうか。
結論を言ってしまうと、これはそこそこおもしろい作品に過ぎない。まず、主演のヴァレリア・ブルーニ=テデスキの演技が素晴らしいことは確かだ。彼女は表情で相手に対する感情を表現し、それが物語を展開させているといい得るほどだ。この彼女の表情に映る感情の変化によって離婚に至るまでのふたりの関係の変化が明らかになる。一方のステファン・フレイスのほうは、このヴァレリア・ブルーニ=テデスキの表情の反映として、その間の一致や齟齬を表現しているだけに見える。
そして、それは演技力の差によるものではない。この作品に描かれるのは“男の情けなさ”である。この主人公のジルという男は本当に情けない。離婚手続きのあとマリオンと関係を結ぼうとし、マリオンが「やっぱりいやだ」と言っても強引にことを進めようとする。マリオンはそのジルの欲望を仕方なく受け入れ、ジルはそれに対して「やり直せないか」とアホのようなせりふを言い、マリオンは彼に見切りをつけて去っていく。
この最初のエピソードの情けない結末に始まって、どのエピソードでも彼は情けなさを露呈する。“男の情けなさ”はトリュフォー以来のフランス映画の伝統という気もするが、この作品のジルの情けなさはトリュフォーの作品で描かれる「女にストッキングを買ってくる男」(といってもわけがわからないかもしれないが、フランス映画では女のためにストッキングを買うというのが男の優しさと情けなさの同居する行為としてくり返し描かれているのだ)のような男の優しさから来るものでもなく、単純に情けないだけなので救いようがない。
オゾンは果たして「男は情けない」ということだけを言いたかったのか。このようなまっとうな映画の場合、映画のスタイルのおもしろさやインパクトだけで映画に浸ることが出来ない以上、そこに何らかの“意味”を見出そうとしてしまう。この映画もそのような映画なわけだが、もしその意味が「男は情けない」ということだけなのだとしたら、それこそちょっと情けない。
フランソワ・オゾンがいわゆる普通の監督になるにはまだ時間がかかるかもしれない。