ヒストリー・オブ・バイオレンス
2006/7/17
A History of Violence
2005年,アメリカ,96分
- 監督
- デヴィッド・クローネンバーグ
- 原作
- ジョン・ワグナー
- ヴィンス・ロック
- 脚本
- ジョシュ・オルソン
- 撮影
- ピーター・サシツキー
- 音楽
- ハワード・ショア
- 出演
- ヴィゴ・モーテンセン
- マリア・ベロ
- エド・ハリス
- ウィリアム・ハート
モーテルを出た二人組の男、彼らは次々と殺人を犯しながら旅を続けていた。一方、インディアナ州の田舎町で小さなダイナーを経営するトム・ストールは弁護士の妻と二人の子供と幸せに暮らしていた。そんなある夜、その二人組が彼のダイナーにやってきて銃を突きつける…
このところ様々な作風を試しているように見えるクローネンバーグが撮った一見まっとうに見えるクライムサスペンス。スリリングな展開と不気味なリアルさが絶品。
デヴィッド・クローネンバーグといえばどこか「気持ち悪い」というイメージが付きまとう。『ザ・フライ』『ビデオドローム』『裸のランチ』、最近では『イグジステンズ』とぬるぬるとかねばねばした印象の作品をいくつも撮っているからだ。
しかし、それは彼なりのリアリティの表現であったのだと私は思う。現実はいわゆる映画の世界のようにきれいではない。彼はそのことを表現しようとしてあえて過剰に気持ちの悪いものを描いてきた。
それが一変、この作品では非常にまっとうなクライムサスペンスを撮っている、ように見える。しかし、根本のところが変わらないということは映画の序盤でわかる。冒頭の殺人のシーンで彼が描く死体は血まみれでおどろおどろしい。眉間を一発というようなきれいな死体ではなく、切り裂かれつぶされた死体なのである。そしてそれはその後の殺人シーンでも繰り返される。銃弾によって打ち砕かれた顎、降りかかってくる肉片、それらの気持ち悪さにはやはりクローネンバーグらしさを感じずにはいられない。
そして、それこそがこの作品が『ヒストリー・オブ・バイオレンス』と名づけられた理由なのではないかと思う。あるいは、彼がこの作品を映画化しようと考えた理由とでもいうべきか。
この作品はクライム・サスペンスとして非常におもしろい。その部分では彼はストーリーテラーとしての才能を示している。しかし、この作品にはいわゆるまっとうなクライム・サスペンスには見られない“染み”が存在する。この作品が持つ気持ち悪さは、私たちがすっきりとこの映画を見終えることを許さない。観客の目には「気持ちの悪い」映像がこびりついてしまうのだ。
私はこの作品を見ながら黒沢清監督の『地獄の警備員』を思い出した。この映画では殴られて気絶する人が激しく痙攣する。その痛みのリアルさにこの作品との類似を見出したわけだ。
彼がそのことによって意図するのは、暴力というものの真実だ。ハリウッドの映画の多くの殺人シーンでは、被害者は頭か心臓を一発で打ち抜かれて呆然として表情で死ぬ。しかし、本当の死とはのた打ち回る痛みを伴い、したいには無残な傷が残るものだ。そのような暴力のむごさをクローネンバーグは思い出させる。ハリウッド映画が無臭化し、無痛化し、日常化してしまった死をリアルな痛みを伴うものとして蘇らせる。
あるいは、映画の中盤に突然登場する階段でのセックスシーンと、その直後の背中のあざも前半のセックスシーンとの対比において、痛みと暴力のリアリティを表現する。中にはこのシーンによってリアルな痛みを感じる観客もいるだろう。
この作品はそのようにして観客にリアルな痛み、暴力の痛さを伝えようとする。だからラストシーンもいわゆるクライム・サスペンスの大団円ではなく、非常に重たい印象を持つものになっている。このラストシーンはこの痛みが現実であり、日常であるということを如実に示す。われわれはこれからも痛みと暴力に囲まれて生きていかなければならない。“暴力の歴史”に終わりはないのだ。