親切なクムジャさん
2007/3/28
Chinjeolhan geumjassi
2005年,韓国,114分
- 監督
- パク・チャヌク
- 脚本
- パク・チャヌク
- 撮影
- チョン・ジョンフン
- 音楽
- チョ・ヨンウク
- 出演
- イ・ヨンエ
- チェ・ミンシク
- クォン・イェヨン
- オ・ダルス
- キム・シフ
- カン・へジョン
- ユ・ジテ
- ソン・ガンホ
- シン・ハギュン
13年半の刑期を終えて出所したクムジャは、刑務所では“親切なクムジャさん”と呼ばれ慕われていたが、彼女は誘拐殺人を犯して投獄されていたのだ。出所したクムジャは彼女を陥れた男に復讐するため刑務所仲間たちを1人ずつ訪ね歩く…
『復讐者に憐れみを』『オールド・ボーイ』に続くパク・チャヌクの“復讐三部作”完結編。『チャングムの誓い』で日本でも大人気となったイ・ヨンエが汚れ役に挑戦した。
パク・チャヌクはやはり現代の韓国でもおそらくトップの映画作家だろう。この作品は“復讐三部作”の前2作とは異なり自身によるオリジナル脚本で、ストーリーに関しては少しインパクトが弱まったという気がしないではないが、それでも十分に観客を引き込むプロットであり、十分に「面白い」といえる。
そして、なんと言ってもうまいのが映像の作り方である。この監督の映像を一言で表現するなら“変幻自在”であろう。古の巨匠は例えば小津のローアングルのようにトレードマークとでもいうべき特徴があったが、現代の巨匠になるであろうパク・チャヌクにはそれがない。しかし彼は固定でも、移動でも、ロングでもアップでも素晴らしい画作りをし、それを見事に構成する。それは映像による話法であり、言葉によらない語りである。
特に印象に残っているシーンがある。それは作品の中盤過ぎ、クムジャが襲われるシーンである。まず何者かが電線を切断し、街頭が一つ一つぽつぽつと消えるロングショットからはじまるのだが、そこからロングショット、バストショット、アップが短くつながれ、別の場所への場面転換を挟んで、さらに手持ちの主観ショット、横へのパンと続き、襲われるシーンはまずロングで、それからアップとめまぐるしく視点が変わる。この視点の変化のめまぐるしさに観客は酔う。そしてその酔いはトリップというほどのものではないにしてもある種の忘我を誘うものなのだ。この短いテンポでつながれた映像からは「語り」が生まれ、物語が生まれる。このシーンはセリフは一切なかったはずだが、この映像は言葉以上に能弁に物語を語るのだ。
このシーンを見て、パク・チャヌクという監督はやはりすごいと思った。韓国映画は玉石混交だが、やはりこれだけ圧倒的な数が作られれば、その中から世界に通用する作家なり役者が現れるものだ。メジャーな映画祭ではカンヌで『オールドボーイ』が審査員特別賞を取ったくらいだが、北野武よりはるかに力のある作家だと私には見える。娯楽映画色が強い部分が映画賞には受けが悪いのかもしれないが、このまま撮り続ければいつかは批評家にも評価されると私は思う。
この作品の話題といえばやはり“チャングム”のイ・ヨンエでさすがにキレイだし、演技でも力のあるところを見せているが、どうしてもチャングムのイメージを拭いきれないようにも見える。チャングムのイメージを引きずっているのが彼女なのか、見る側なのかはわからないが、演技の中に躊躇のようなものを感じなくもない。あるいは設定として“美人”ということがあまり強調されすぎているのもこの役をやる上では障害になってしまったのかもしれないとも思う。
それでも終盤に彼女の顔に浮かぶ邪悪な表情はすごかった。アップで正面から捉えられた彼女は泣きながら笑っているが、その中で何度かぞっとするような邪悪な表情が浮かぶ。この作品は一人の人間の中にある善と悪について描いた作品だと思うが、この短いカットでイ・ヨンエは見事にそれを表現している。
「復讐は蜜の味」というけれど、それは本当にそうなのか、むしろ復讐は苦いものなのではないか。復讐するということは懸命に押さえ込んだ自分の痛みを再び浮上させるということである。もし他人の復讐を代わりにやるだけならばそれは蜜の味だろうけれど、自分自身のために復讐をするというのは苦々しいものなのかもしれない。パク・チャヌクの“復讐三部作”を見て思うのはそういうことだ。復讐を誓い、そのために準備をすることは生きる希望を与えるが、実際に復讐をするその瞬間には悦びよりむしろ苦しみがあるのかもしれない。復讐が無意味だというわけではないが、復讐は復讐そのものよりも、そこに至る過程により大きな意味があるのではないか。復讐とはある意味では人間が抱く欲望の典型であり、その最も暴力的なものなのかもしれない。欲望に向けて突き進もうとするとき、人間は生の悦びを感じる。
復讐を描くことは、つまり人間の欲望を描くことである。そして、欲望とは現代の人々を突き動かす原動力に他ならない。パク・チャヌクがここまでしつこく復讐を描いたのは、それが現代の人々を最もよく語りうるテーマだからなのかもしれない。その点でも彼はすごい映画作家だと思う。