ユー・キャン・カウント・オン・ミー
2007/4/2
You Can Count on Me
2000年,アメリカ,111分
- 監督
- ケネス・ローガン
- 脚本
- ケネス・ローガン
- 撮影
- スティーヴン・カツミアスキー
- 音楽
- レスリー・バーバー
- 出演
- ローラ・リニー
- マーク・ラファロ
- マシュー・ブロデリック
- ジョン・テニー
- ロリー・カルキン
幼い頃両親を事故で亡くしたサミーとテリーの姉弟、時はたち、サミーは生まれ育った街の銀行で働きながら一人息子を育てていた。そこに長い間音信不通だったテリーが帰ってくるという手紙が届き、サミーは喜ぶが、テリーの目的はお金を借りることだった…
監督は『アナライズ・ミー』などの脚本家ケネス・ローガン、主演がローラ・リニーとマーク・ラファロというバイ・プレイヤーという地味な作品ながらアカデミー主演女優賞と脚本賞にノミネートされた。なぜか日本では未公開。
ざわざわと心が騒ぐ作品である。恋人との間に何があったのかわからないが、金に困り姉を訪ねるしかなかったテリー、どうしようもない夫に捨てられひとりで息子を育ててきたサミー、このふたりが数年ぶりに再開し、再び一緒に暮すようになる。サミーが勤める銀行には新しい支店長がやってきて、その支店長と折り合いが会わない。テリーの恋人は自殺未遂を起こし、テリーは帰れなくなる。サミーの息子ルディはおとなしくいい子だが、どこか生気がない。
彼らはどこにでもいるような人たちだが、一体何を考えているのかはわからない。この作品は登場人物たちの心理を親切にわかりやすく伝えようと馳せず、表面に浮かんでくる行為のみによってその心理を察するように観客に強いる。そして探りを入れようとすると彼らの心には暗く重苦しい部分があり、時にそれが噴出してその部分に触れようとするものを拒絶する。
そして、見ていて決して楽しくはないのだが、あれやこれやと考えているうちにどんどん引き込まれてしまう
彼らは自分の心の何かを隠しながら衝突し、和解する。それはあまり気持ちのよいものではないが、それは主に彼らが自分の心を守るためにそうしているからだ。この映画が描いているのは自分を守ることで精一杯の人々であり、彼らの余裕のなさは観ているものを不快に、そして不安にさせる。
そんな彼らの会話はたびたび途切れる。その無言の間に響く彼らの心の叫びが言葉にならない想念としてスクリーンから滲み出し、それが私たちの心をざわざわと騒がせるのだ。彼らに対する不快感は自分自身に対する不快感でもあり、彼らを見て感じる不安感は自分自身が感じている不安感に他ならないのである。
そして、その不快感の正体は彼らが“大人になっていない”ことである。サミーは「大人の話」という決まり文句でルディの質問から自分を守る。テリーはサミーはもちろんルディに対しても子供じみた対応をして周囲をいらつかせる。
しかし、“大人になること”とは果たしてなんだろうか。“大人になる”ということが自立するということしたら、ここに登場する人は誰も大人に離れていないし、現実にもどれだけ本当に大人といえるような人が存在するのかと疑問に思わざるを得ない。現実にも“大人になること”が常に求められながら、私たちはいつまでたっても自分が“大人になった”とは実感できないのだ。だからこそ私たちはここに登場する人々に自分自身に対して感じるのと同じ不快感を感じてしまう。
そして、その不快感と表裏一体のものとしてあるのが不安感である。この不安感の正体は「誰も頼れる者がいない」ということに対する不安感である。大人になりきれない私たちはどうしても頼るべき誰かを必要としている。その“誰か”が見つからないとき、私たちは底知れぬ不安感に襲われるのだ。この作品に登場する人々はみなそのような不安感を抱えながら、頼れる誰かを探しているのだ。それが最も端的に現れるのは弟と息子との関係に混乱したサミーがブライアンとボブに相次いで電話をかけるシーンである。
この題名(「私に頼っていいよ」というような意味)に表れているのは誰かに頼ることが出来るという安心感なのである。この世の誰もが頼れる誰かを求めている。