続々大番 怒涛篇
2007/4/6
1957年,日本,108分
- 監督
- 千葉泰樹
- 原作
- 獅子文六
- 脚本
- 笠原良三
- 撮影
- 西垣六郎
- 音楽
- 佐藤勝
- 出演
- 加東大介
- 淡島千景
- 仲代達矢
- 谷晃
- 沢村貞子
- 原節子
大相場で失敗し、さらに師と仰ぐ木谷の自殺にショックを受けたギューちゃんこと赤羽丑之助は再び故郷に戻る。しかし故郷では下へも置かぬ待遇で、それに気をよくしたギューちゃんは特産品のイリコで闇商売をすることを思いつく。
加東大介主演でヒットした『大番』シリーズの第三弾。戦争が本格化した時代のギューちゃんの活躍を描く。時代を映してかシリーズの中では最もシリアスな作品となった。
第1作からこの第3作まですべての作品が故郷宇和島からはじまる。第1作、第2作とも結末でギューちゃんは失敗し、都落ちをするのだ。そして、第2作ではただほとぼりが冷めるまで待っているだけでよかったが、今度はそうは行かず故郷で何かをしなければならないし、戦争も迫ってきている。東京を出るときには百姓をやる決意だったが、やはり故郷に帰れば見栄を張りたいし、体力もついていかないというわけで、闇商売に目をつけるわけだ。さらに、新どんも出征し、まさに時代の鏡という状況になって行くのだ。
そんな時代だからギューちゃんもなかなか兜町には戻れず、前2作の華々しさはここにはない。日本中が華々しさとは無縁の時代だったから仕方がないのだが、やはりこのシリーズはギューちゃんが華々しい活躍をしてこそであり、なんだかしみったれたこの展開では今ひとつ楽しめないのだ。
しかも、ヒロインのおまきさん(淡島千景)もほとんど登場してこない。原節子のほうがもちろん格は上だが、このシリーズでは彼女はあくまでも“お客さん”に過ぎずヒロインは淡島千景なのだ。さらに言えば、このシリーズの主人公がこのおまきさんだということも出来るのかもしれない。もちろん物語の中心にいるのはギューちゃんだが、このギューちゃんの物語はつねにおまきさんを巡って展開されているのだ。しかも、ギューちゃんは今の価値観から言えば共感できない部分も多い。女遊びはひどいし、成金趣味だし、真正直とはいえ人をないがしろにしがちである。おまきさんはそんなギューちゃんにピタリと寄り添い、支え、許し、包み込んでいるのだ。おまきさんのような女性は今の時代でも(あるいは今の時代にこそ)求められる女性像なのかもしれない。いわゆる癒し系でありながら、しっかりとした芯を持ち、自律して、しかし弱さも併せ持つ。そんなおまきさんをないがしろにし続けるギューちゃんにはどうも共感できない。
そして、この3作目はおまきさんの登場シーンが少ないだけになおさらそれを強く感じる。まれに登場するおもきさんのいじらしさとギューちゃんの身勝手さが対比され続けるのだ。その辺りでこの作品はどうもすっきりと楽しめなくなっている。
しかし、これも次の完結篇へのプロローグ、前2作から完結編への橋渡しであると考えると、起承転結の“転”の部分として理解することはできる。暗い時代を描き、人々の関係もギクシャクしているこの時期を描くことで、完結篇を爽快なものにする。そんな意図もあったのかもしれない。
そして、忘れてはいけないのがこの作品が作られたのが昭和30年代前半というまだまだ戦争の影を引きずっていた時代だということだ。このシリーズが人々に受けたのは、これが暗かった戦中と対比した戦後の明るさを描いているからだ。そう考えると、これはシリーズの4作品全部で1つの作品のようなものであり、リアルタイムの戦後を描く完結篇でようやくこの作品は完成するのだろう。だから、これ単独でどうこう評してもあまり意味はないかもしれない。
<シリーズ>
『大番』
『続大番 風雲篇』
『続々大番 怒涛篇』
『大番 完結篇』