キング・コング
2007/5/21
King Kong
2005年,ニュージーランド=アメリカ,188分
- 監督
- ピーター・ジャクソン
- 原案
- メリアン・C・クーパー
- エドガー・ウォレス
- 脚本
- ピーター・ジャクソン
- フラン・ウォルシュ
- フィリッパ・ボウエン
- 撮影
- アンドリュー・レスニー
- 音楽
- ジェームズ・ニュートン・ハワード
- 出演
- ナオミ・ワッツ
- エイドリアン・ブロディ
- ジャック・ブラック
- トーマス・クレッチマン
- ジェイミー・ベル
- アンディ・サーキス
1930年代のニューヨーク、ボードヴィルの女優アンは出演していた劇場が閉鎖され、路頭に迷うことに。一方、冒険映画の監督カール・デナムは地図に載っていない島の地図を手に入れ、そこで映画を撮ることを計画するが、出資者に断られ、急いで出発してしまうことにする。主演女優を探すデナムは、通りでアンを見かけて無理やり船に載せ出発してしまう…
1933年の『キング・コング』をピーター・ジャクソンがリメイク。原作の物語を膨らませ、テクノロジーを駆使して3時間長という超大作に仕上げた。
この1933年の名作をリメイクしたいと長年夢見ていたというピーター・ジャクソンが『ロード・オブ・ザ・リング』の成功でついに実現した大プロジェクトである。1976年にも一度リメイク版が作られた(ジェフ・ブリッジス主演)、評判はひどく悪かった。名作のリメイクものというのはとかく失敗に終わることが多いが、このピーター・ジャクソン版の『キング・コング』はそうはならなかった。これは1976年版はもちろん、エンターテインメントとしてはオリジナルの1933年版をも上回る作品だろう。
その成功の要因は3つほどあると思う。一つは、アンとコングの関係を明確にし、それをプロットの中心に据えたことだ。この作品では、スカル・アイランドにいる間にアンとコングの間にはある種の信頼関係が生まれる。それによって観客はコングに感情移入できるようになり、クルーがキングを捕らえ、ニューヨークで見世物にし、軍隊がコングを追うシーンに入り込んで行くことが出来る。恐怖の対象であったコングが逆に可愛そうな動物になる、その展開に面白みがある。オリジナルではコングはあくまでもコングであり、主役はあくまでもアンとジャック(オリジナルでは船員の設定)であった。3時間は確かに長いが、このプロットがしっかりしているために苦痛を感じるほどではない。
もう一つはアクションのよさである。70年という時間のテクノロジーの発達が最も感じられるのがこの部分だ。とくに、コングと恐竜の格闘シーンの迫力は白眉だろう。コングは基本的にはぬいぐるみ(入っているのはコック役でもあるアンディ・サーキス)+CGだが、恐竜のほうはおそらくロボット+CGだろう。このコングと恐竜3頭を格闘させた技術はまさに見事としか言いようがない。腕に噛み付く恐竜を振り払い、岩に叩きつけ、最後はオリジナルと同じく(オリジナルでは恐竜は1頭だけだったが)口を割いて殺す。その迫力はさすがで、アカデミーで視覚効果賞を獲ったのも納得ということろだ。
視覚という部分では、もう一つ成功の要因が挙げられる。それは、登場する様々なクリーチャーの気持ち悪さだ。まずは原住民の異様な怖さ。オリジナルでは原住民と通訳を通して会話が出来るという設定だったが、ここではコミュニケーションは完全に不可能であり、見た目も目を血走らせ、異様に怖い。オリジナルが有名だから、アンが生贄にされようとしているということがわかるが、それがなければまったく理解できない彼らの言葉と行動を通してそれを推し量ることは出来ない。ピーター・ジャクソンは理解不可能なものへの恐怖を生かして見事な演出をしている。さらには、中盤に登場する巨大な虫の群れの気持ち悪さも特筆事項だろう。ここには『バッド・テイスト』や『怒りのヒポポタマス』なんていう悪趣味な映画を撮っていたニュージーランド時代のピーター・ジャクソンの(バッド)テイストが感じられる。
それらによってこの作品は極上のエンターテイメントに仕上がっている。ドラマと迫力とスピード感、3時間は確かに長いが、ただ冗長なだけでなく、3時間分の内容は詰まっている。ディレクターズカットはさらに長い201分だということだが、果たして何が追加されているのか…
さて、とはいえ作品としての評価はやはりオリジナル版のほうが上かもしれない。オリジナル版は特撮映画・怪獣映画の古典的名作という価値に加え、コングと原住民との関係という別のテーマが盛り込まれていた。オリジナルで提示されていたテーマは文明社会と未開社会という対立構造であり、このピーター・ジャクソン版はエンターテインメントに徹してそれは描かれることはなかった。原住民はコングよりも理解不能な存在であり、彼らはこの物語の埒外にあるのである。ここに表現されているのは未知のものに対する人々の恐怖であり、それは現代社会に数々の悲劇をもたらした原因でもある。ここでは文明社会であっても未開社会であっても人間は一緒くたにコングに対する恐怖を抱くものとして描かれ、その恐怖が悲劇を生むのだ。そんな中、アンだけがコングを理解し、彼を守ろうとする。しかし、彼女だけではコングを守りきれず、未知の他者の理解と和解は決定的に失敗するのだ。
オリジナルに敬意を表しながら(ポールが主演女優の候補としてオリジナルに出演したフェイ・レイの名前を挙げるシーンもある)それを現代にフィットするように作り変えた。思い入れがあるだけに実にしっかりと見事に作り込まれた作品だ。