モダン・タイムス
2007/5/22
Modern Times
1936年,アメリカ,87分
- 監督
- チャールズ・チャップリン
- 原作
- チャールズ・チャップリン
- 脚本
- チャールズ・チャップリン
- 撮影
- ロリー・トザロー
- アイラ・モーガン
- 音楽
- チャールズ・チャップリン
- 出演
- チャールズ・チャップリン
- ポーレット・ゴダード
- チェスター・コンクリン
ベルトコンベアーのねじ締めの仕事をするとある工場労働者、生産性向上のためコンベアーのスピードを上げられててんてこ舞いになり、さらには自動食事機の実験に使われてついにねじを締める手が止まらなくなってしまい精神病院に収容される。
チャップリンが機械文明に対する批判を込めて撮った最後のサイレント作品。ヒロインを演じたのは当時の妻だったポーレット・ゴダード。
『キッド』以降のチャップリンは長編映画ということもあって、単純にドタバタのコメディによって映画を構成することをやめ、コメディ以外の要素をどんどん映画に取り込んでいった。特に『キッド』で成功した感傷的な路線の作品を多く作っていたといっていいだろう。
しかしこの『モダン・タイムス』はそんな干渉と決別し、社会に対する批判という新たな視座を盛り込んでいる。機械文明を風刺するコメディといえば、なんと言ってもこの作品が有名だが、1931年にはルネ・クレールが『自由を我等に』を撮っており、チャップリンがこれを参考にしていることは間違いないだろう。そこからわかるのは、「機械が人を殺す」というテーマはすでに世間でポピュラーだったということだ。だから、この作品は広く受け入れられ、人々の共感を得たのだ。
チャップリンはスターになっても常に大衆の心を分析し、その心をつかむモチーフを選び出している。この作品以降『独裁者』『殺人狂時代』『ライムライト』と社会性のある作品ばかりを撮るようになるのも、それが時代の要請だったからではないかと思う。
そして、そのような彼の社会的な作品も面白い。今見るならば感傷的なドラマのほうがある種の普遍性を持っていて楽しめるし、社会性のあるものというのはその時代性が映画の面白さに大きく影響してくることは確かなのだけれど、さすがにチャップリンはそれを超える面白さを生み出し、テーマにも普遍性がある。
この作品のコメディとしての面白さはそれほどではないかもしれない。序盤の工場でのシーンと中盤あたりのおかしな動きで笑いをとることはあるが、それ以外では声を出して笑うようなシーンはあまりなく、まじめに見ながら時々クスリとするくらいのものだ。
しかし、チャップリンらしい感心するシーンは多い。特にすばらしいと思ったのは、チャップリンがウェイターの仕事をするシーン、グリルチキン(丸ごと1羽)をトレイに乗せて運ぶチャップリンが踊る人たちの洪水巻き込まれなかなか思うように進むことができない。チャップリンは頭の上にトレイを掲げてくるくる回りながら人の波にのり、何とか目的の場所にたどり着こうとするのだ。それをチャップリンはロングの1カットで延々と捉える。それは細切れのカットで作り出された構成的な映像とは別の面白さとスリルがある。チャップリンはいったいこのカットを何度撮ったのか、人の流れを制御し、その中で自分が入ってその流れに逆らわないようにしながら、しかし目的地にたどり着けないという歯がゆさを表現する。その間トレイは落ちそうで落ちない均衡を保つ。完ぺき主義のチャップリンだから、このシーンだけに何日間も費やしたのだろうと想像できる。もちろんその買いあってこのシーンは本当にすばらしいシーンになった。
チャップリンはサイレントでこれだけのものを撮れるし、サイレントだからこその面白みもあるから、あくまでもサイレントにこだわり続けていたのもわかるし、新たに手にした音響の使い方も非常にうまい。このように映像の音響を合わせるのはトーキーよりも難しいことなのではないかと思うくらいだ。この作品では初めてチャップリンが声を発したわけだが、それはたいしたことではない。この作品はサウンド映画としてすばらしい作品なのだから。チャップリンの歌はあくまでもそのサウンドのひとつに過ぎない。
チャップリンはやはりチャップリン、この作品はチャップリン作品の中でトップレベルの作品とは私は思わないが、それでもやはり面白い。