ニッポン無責任時代
2007/6/7
1962年,日本,86分
- 監督
- 古沢憲吾
- 脚本
- 田波靖男
- 松木ひろし
- 撮影
- 斎藤孝雄
- 音楽
- 神津善行
- 出演
- 植木等
- ハナ肇
- 谷啓
- 重山規子
- 久慈あさみ
- 田崎潤
- 安田伸
- 犬塚弘
- 団令子
- 中北千枝子
バーで大平洋酒の買収の話を聞きつけた平均(たひらひとし)はそこに居合わせた大平洋酒の社員を騙して飲み代を払わせてしまう。そしてその大平洋酒の社長の家に行き、翌日の予定を聞きだすと、社長をつかまえ見事に取り行ってしまう…
クレイジー・キャッツの人気シリーズ“無責任”ものの第一作、植木均が舌先三寸のお調子者を演じ、ヒット曲も次々披露してとにかく楽しい。
平均は自分のことをさかんに“C調”と言い、この作品のテーマ曲といえる『無責任一代男』にも「人生で大事な事は タイミングにC調に無責任」とでてくる。この“C調”という言葉、今はまったく使わないけれど、60年代あたりには盛んに使われた言葉だ。意味は「調子いい」という意味で「調子いい」が「調C」→「C調」となったという。つまり大事なのは「要領がよく、お調子者で、無責任」ということだ。
そして、このC調というのがなんと言っても植木等の魅力である。この作品はクレイジー・キャッツのコメディ・シリーズの第一作と位置づけられるが、それはこれが彼らの東宝第一作であるからだ。これ以前に大映で『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ』と『サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ 』に、松竹で『クレージーの花嫁と七人の仲間』に出演しているが、これらはシリーズ化されず、この『ニッポン無責任時代』以降はほぼ東宝の作品にしか出演していない。クレイジーといえば東宝、そしてこれは東宝の第一作だから、クレイジーのコメディシリーズの第一作となるわけだ。
そして、それにも納得できる。彼らの映画第一作である『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ』も面白いが、本当に植木等の本領が発揮されているのはこの作品からだろう。植木等が完全に主役として映画の中心にふわりと座り、調子よく飄々と、次から次へとおかしなことをやって行く。このテンポ、このリズム、これこそがクレイジーという感じなのだ。それはとにかく楽しく、ついつい笑みが口元に浮かんでしまう。
このノリはやはりあくまでも60年代のもので、現代のものとは異なるけれど、60年代と現代というのはどこかで通じるような気がする。60年代といえば、敗戦から復興し、どんどん好景気になって行った時代だが、まだまだ庶民の生活は苦しく、この作品でも労組もないサラリーマンの苦労が描かれている。しかしそれでも未来には多少の明るさがあり、そこを打った安心感が人々の間にある。
現代も、決して好景気とはいえないけれど、底を打った感はあり、どこか明るさもある。こんなときには気楽に生きれたらどんなにいいだろうと思い、しかもそれも不可能ではないような気もしてくる。いろいろ厄介な問題はあるけれど、何とかなるんじゃねぇかという楽観的な気持ちがどこからか沸いてくる。
そんな気分にこの作品はぴったり来るのだ。ここに描かれている物語はもちろん非現実的でまったくありえないことなのだけれど、そのあっけらかんとした楽しさは観る方まで明るくしてくれるのだ。植木等さんが亡くなられたのは残念なことだけれど、彼の訃報をきっかけに(私のように)クレイジー・キャッツのシリーズを見る人が増えれば、これが今という時代にピタリと来ると思う人も増えるのではないかと思う。
これまでは昭和というのあくまでもノスタルジーの対象であり、そこにはどこか後ろ向きなイメージが付きまとうが、この作品に見える昭和には未来への希望がある。そして、その未来への希望は現代を生きるわれわれにも共有できるもののような気がする。
もちろん、この映画を見ながらそんな小難しいことを考えるわけではないのだが、作られて45年もたったこの作品をこんなにも楽しく観られ、なんだかしっくり来るという背景には、そんな“時代性”があるのではないかと思うのだ。
クレイジー・キャッツの時代は60年代をほぼカバーしている。クレイジーを通して60年代を見たら、何かが見えてくるかもしれない。